マルブランシュ
認識をめぐる争いと光の形而上学
著:依田 義右
内容紹介
時代は西欧17世紀、近代のとば口に立って、科学・数学を支える新しい自然認識論と、信仰および光の形而上学とを融合させようとした思想的苦闘の全貌を描き出す。
アウグスティヌスに、あたかも乳母の乳のように養われ、かつその思想を会得したオラトリオ修道会の神父にして数学者・形而上学者、のちにデカルトの思想に共鳴し、「機会原因論」という独自の立場を構想した認識の哲学者──デカルト哲学を梃子として、中世的自然観から離脱した近代認識論という簡明な図式からはこぼれ落ちてしまう、理性と信仰、合理と非合理をめぐる、多様にして奥行きの深い知の闘いがここにはあった。
デカルト哲学を継承する同じ立場に立ちながらの、アントワーヌ・アルノーとの論争、イギリス経験論の大立者、ジョン・ロックとの認識をめぐる対決──精細に再現された、三つどもえの火花をちらす「争い」の中から、科学革命に向かう西欧近代が何を乗り越え、かつ何を切り捨てなければならなかったのかが具体的に見えてくる。
「神の内にすべてを見る」という認識論の意義と、それを根底で支えた光の形而上学とを明るみに出し、日本における哲学史・思想史の欠を埋める、初の思想評伝。
目次
「序論」より
マルブランシュは、オラトリオ修道会の一修道士であり、一神父、そして
哲学者(形而上学者)、神学者として、生涯を真理の探究に捧げた。その晩
年は、薄暗い修道院の一室で老いを養い、差し出された十字架に幾度も接
吻して、この世を去ったという。身の回りを見ていたものが、別の部屋で
仮眠をとっていた間の、誰にも気づかれない静かな最期であった。しかし、
物質的な栄華のかけらも見出せないその生涯に担われた思想は、まばゆい
ばかりの神の霊的光を放っていたのである。
だが、このマルブランシュが自らの思想を、見解をはじめて世に問うたと
き、その語り出し方は実に奇妙なものであり、まことに不思議なものであ
った。思想の表現としてはほとんど類例の見出しがたい、問いの立て方と
語り口なのである。本書は、この不思議の謎解きを中心に据えながら。そ
れを突破口とし、ここからマルブランシュの思想の全体像に迫りたいと考
えている。