◆もくじ◆
・まえがき
・凡例
・プロローグ
*ぼくとスリランカ
*なぜスリランカにーおじいちゃんの話
*もっと知りたくなって
第一章 第二次世界大戦と日本
一 第二次世界大戦前ーそのころのアジアと日本
〈南アジア・東アジア〉〈セイロン〉〈日本〉
二 第二次世界大戦中ー連合国と日本
・〈日本のアジア・東南アジア支配〉
(一)日本海軍によるセイロン空襲
(1)コロンボ空襲と日本兵の慰霊碑
(2)トリンコマリー空襲と「タンク91」跡
(二)大東亜会議(一九四三年)
(三)連合国の諸会談と対日作戦・戦後処理計画
(四)戦後の日本をどのように治めるか
ーアメリカの「日本単独占領案」と「日本分割統治案」
(1)アメリカ国務省の日本独占領案
(2)アメリカ軍部の日本分割統治案
三 第二次世界大戦直後ーソ連は日本に何をしたか
(一)ソ連の対日参戦・満蒙攻撃と猛攻・領土要求
(1)ソ連の対日参戦・満蒙攻撃
(2)ソ連の猛攻・領土要求
(二)ソ連の対日戦後処理庵の決行ーシベリア抑留
四 日本降伏後にアジアで起こったこと
第二章 サンフランシスコ講和会議
一 講和会議は終戦後すぐにではなかった
二 講和会議開始前
(一)アメリカ・イギリス主導による「講和条約」案文の作成
(二)日本の関心
(三)アメリカの関心
(四)世界の関心
三 講和会議始まる
(一)歓迎式
(二)条約案文作成会議の手続きとその会議役員の選出について(第一回総会)
(三)ソ連の声明ーグロムイコ氏の演説(第二回総会)
(四)セイロンの声明ーJ・R・ジャヤワルダナ氏の演説(第四回総会)
(五)セイロンの声明・ジャヤワルダナ氏の演説への反響と評価
〈会議場オペラハウスの反響)〈ジャヤワルダナ氏のレポート〉〈吉田茂全権の反応〉〈日本国内の反響〉
(六)アジア諸国の声明(第四・五・六・七回総会)
*各国の声明
(七)吉田茂全権の受諾演説(第八回総会)
(八)署名式(九月八日)
四 講和会議終わる
第三章 この人を忘れないでージャヤワルダナ氏と日本
一 ジャヤワルダナ氏とセイロン政府
二 首相・大統領になる
三 親日家・ジャヤワルダナ氏
(一)皇室との親交
(二)七回の来日
(三)日本政府の援助
(1)スリ・ジャヤワルダナプラ総合病院の建設
(2)スリランカの国会議事堂の建設
(四)民間の報恩・援助活動・交流等
(1)ジュピター・コーポレーションのいちご栽培事業
(2)仏教界・仏教者との交流
①東京ー天海山雲龍寺の銅像〈ジャヤワルダナ氏夫妻が訪問)
②神奈川ー高徳院大仏殿の顕彰碑〈ジャヤワルダナ氏夫妻が除幕式に出席)
③広島ー広島平和記念資料館・原爆死没者慰霊碑〈ジャヤワルダナ氏夫妻が訪問)
④愛知ー法光山明通寺の顕彰記念碑〈駐日スリランカ大使が除幕式に出席)
四 ジャヤワルダナ氏の死去
(一)日本の報道と葬儀、遺言
(二)献眼ージャヤワルダナ氏の角膜提供
◇献眼者の供養碑
五 ジャヤワルダナ氏の仏道と平和観
(一)「ダンマパダ 五」をめぐってー「愛」と「慈悲」
(二)ジャヤワルダナ氏の仏道
〈精神立国〉〈八正道〉
(三)ジャヤワルダナ氏の平和観
〈「日本国憲法」とジャヤワルダナ氏)
〈ジャヤワルダナ氏と三笠宮崇仁親王)
第四章 スリランカの人々
一 『J・R・ジャヤワルダナ センター』の設立
(一)スリランカ国民の思い
(二)日本会館(The Japanese Hall または Japanese Museum)
二 「衣食足りて礼節を行う」人々
三 母をたたえ敬う人々
〈母をたたえ敬う〉〈スリランカの「優先席」〉〈日本もこうありたい〉
四 ひたむきに生きる人々
〈子どもたちは〉〈おとなは〉〈「ゼッケン67」〉
第一章、第二章の重要な言葉
ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏 日本関係を中心の略年譜
エピローグ
*おじいちゃんとの「総合的な学習の時間」を終えるにあたって
*ぼくたちは これから
あとがき
《参考資料・文献等》
〈資料〉コスモス奨学金について