健康」という言葉は、新聞や雑誌、そして広告からCMに至るまで、それを目にしない日がないくらい日常にあふれている。通販番組の商品の多くが「健康」関連であることは、もはや定番となっている。
また昨今、増大する社会保障費のなかで医療費、そのなかでも慢性疾患の長期的な治療にかかるコストがやり玉に挙げられ、そうしたリスクに対処するさまざまな施策が「健康増進」の名のもとに打ち出されてきた。「生活習慣病」はもとより、内臓脂肪症候群を指す「メタボ」はすっかり定着し、各種健診事業の合言葉にまでなっている。
他方で「健康」は、今ある身近な幸せの維持や漠然とした望ましさを、便利に言い表せる言葉ともなっている。「健康であればあとは何もいらない」、「家族の健康が何より大事」、「自分の好きなことをできるのが本当の健康だ」だと率直に言葉にするのも、「健康」とさえ言っておけば他者と簡単に共有することができるし、そのことを私たちは当てにしながら使っているとも言える。
客観性が求められる科学や制度のなかで用いられる一方、望ましい生に対する個人的な期待として端的に口に出せる――よく考えてみると、不思議な言葉である。こうした「健康」をめぐる「語り」の性格を本書では「だらしなさ」と呼んでいるが、実はその語り口には、ある歴史性が存在している。
本書の狙いは、「健康」とは何か、どうすれば「健康」になれるのか、といった問いに答えることにはない。むしろ、それとなく社会的な領域と私的な領域とを行き来できてしまうこの記号をめぐる「語り」の質感が、いかにして獲得されてきたのか、また昨今の「健康」の政策化は、果たして私たちの暮らしと制度にどんな変化をもたらしつつあるのかという問いに、出来事や言説の積み重ねを丹念にひもときつつ答えていくことである。(たかお・まさゆき)