序 古代絵画史の展開―絵画制作者の聖と俗の問題から―
はじめに
一 八世紀までの画工
二 九世紀の画師と画僧
三 十世紀の画師たち
四 十一世紀の絵師と絵仏師
五 十二世紀の絵仏師と絵師
おわりに
第一部 聖なる絵画の世界
第一章 法隆寺金堂壁画と平安仏画
はじめに
一 金堂壁画ガラス乾板
二 文字による壁画の記録
三 画像による壁画の記録
四 金堂壁画の記録としての平安仏画
おわりに
第二章 古代寺院の中の「絵画」―上淀廃寺を中心に―
はじめに
一 発掘と研究の成果
二 出土壁画の様相
三 古代寺院の中の「絵画」
四 出土壁画の再検討
おわりに
第三章 平安時代の仏画制作とその修理
はじめに
一 平安時代の仏画制作
二 平安時代の仏画修理
三 「高雄曼荼羅」の保存
おわりに
附論 釈迦霊鷲山説法図(奈良国立博物館)一幅
第四章 「応徳涅槃図」再考
はじめに
一 「描きなおし」と「無彩色」の問題
二 画中銘が意味すること
三 原本の存在とその絵画史的位置
四 「応徳涅槃図」の絵画史的位置
おわりに
附論 童子経曼荼羅図(京都・智積院)一幅
第五章 普賢菩薩の聖と俗
はじめに
一 東博本の淡墨線
二 仏画と世俗画のあわい
三 宋代における仏画の世俗化
四 生身の普賢
おわりに
附論 十六羅漢図(京都・禅林寺)十六幅
第六章 圓教寺常行堂仏後壁の来迎図
はじめに
一 常行堂の成立と展開
二 書写山の常行堂
三 仏後壁の来迎図
おわりに
第七章 奝然が見た唐宋絵画
はじめに
一 日本絵画史における十世紀
二 北宋初期の絵画史的状況
三 奝然と「江南仏画」
四 嘉因と「倭絵屏風」
五 奝然の入宋と平安後期の絵画
おわりに
附論 船中湧現のほとけ―入唐求法をめぐる絵画―
はじめに
一 円仁の場合
二 円珍の場合
三 空海の場合
おわりに
第二部 俗なる絵画の世界
第一章 二つの古墳壁画
はじめに
一 高松塚古墳壁画
二 キトラ古墳壁画
おわりに
第二章 十世紀の画師たち
一 本章の問題意識
二 十世紀までの画師たち
三 十世紀の画師たち
四 五代における呉道子様式からの脱却
五 入宋巡礼僧がもたらしたもの
おわりに
第三章 後白河院時代の絵画と宝蔵
はじめに
一 蓮華王院宝蔵絵のすがた
二 後白河院と天平の造形
三 蓮華王院宝蔵絵と正倉院の絵画
おわりに
第四章 「病草紙」と唐宋絵画
一 「病草紙」の史的位置
二 宋代医学とその表象
三 「霍乱の女」と嘔吐の図像
四 「眼病治療」と(伝)李唐「炙艾図」
五 「肥満の女」と李嵩「骷髏幻戯図」
六 蓮華王院宝蔵と医学
第五章 「鳥獣戯画」とは何か
はじめに
一 鳥獣戯画のなりたち
二 鳥獣戯画の奥書
三 鳥獣戯画とは何か
四 蓮華王院宝蔵絵と正倉院
おわりに
第六章 後堀河院の絵巻制作と蓮華王院宝蔵
一 絵づくの貝おほひ
二 後堀河院周辺の絵巻制作
三 蓮華王院宝蔵絵と後堀河院
四 後堀河院と「鳥獣戯画」
附論 駿牛図(五島美術館)一幅
第七章 後堀河院がしたこと―後白河院崩御後の「宝蔵絵」―
はじめに
一 蓮華王院宝蔵の継承者
二 崩御直後の混乱
三 後堀河院がしたこと
おわりに
第三部 日本の外なる世界
第一章 五台山と金峯山―「応現観音図」からわかること―
はじめに
一 『古清涼伝』『広清涼伝』にみえる五台山聖跡
二 敦煌における五台山図
三 文殊菩薩と「応現観音図」
四 北宋初期における五台山図
五 「応現観音図」の請来と金峯山信仰
おわりに
第二章 仁和寺孔雀明王像とその周辺
はじめに
一 唐代における孔雀明王の造像
二 五代における孔雀明王の造像
三 宋代における孔雀明王の造像
おわりに
第三章 宋代絵画における清浄華院「阿弥陀三尊像」の史的位置
はじめに
一 清浄華院「阿弥陀三尊像」の表現
二 宋代における仏画様式の展開
三 南宋における仏画と水墨画
四 清浄華院本成立の宗教的背景
おわりに
第四章 大徳寺「五百羅漢図」の母胎としての呉越絵画―日本伝来の白描図像を中心に―
一 問題の所在
二 呉越国の仏画
三 呉越仏画と大徳寺「五百羅漢図」
四 五百羅漢図の形成
第五章 高麗仏画における密教像
はじめに
一 高麗における密教信仰
二 「准胝観音像」
三 「千手観音像」(リウム美術館)
四 高麗と唐宋仏画
おわりに
結論 聖と俗とその外なる世界
一 請来仏画の「聖性」をめぐって
二 「唐絵」と「やまと絵」の再考
あとがき
初出一覧
索引
英文目次