日本語版刊行によせて ジークフリート・エンダース
訳者まえがき
第一章 幼少年時代
第二章 画家としてアントウェルペンからパリへ
第三章 ふたたびベルギーへ――困難と危機
孤独な時代
新しい理念との接触
若き「レ・ヴァン」のメンバーとして
カルムトハウトの「フォーヘレンザンフ邸」
画家への道を断念――応用芸術への道
雑誌『ヴァン・ニュー・エン・ストラックス』
「天使の見守り」
マラルメとヴェルレーヌのふたりとの出会い
第四章 芸術家としての使命
マリア・セートゥとの交際と結婚
アントウェルペンとブリュッセルでの講義
テオ・ファン・ゴッホ未亡人を訪ねる
最初の工芸品のデザイン
「新しい大学」の教師として
建築への第一歩
サミュエル・ビング、ユリウス・マイヤー=グレーフェそして「アール・ヌーヴォー」とパリの展覧会(一八九五~九六年)
自邸「ブルーメンウェルフ」とトゥルーズ=ロートレックの訪問
C・ピサロからの一通の手紙
第五章 一八九七年――ドレスデンとベルリン
一八九七年ドレスデン美術工芸展
コンスタンチン・ムーニエとドレスデンへ
ムーニエとベルリンへ
第六章 初期の反響――広がる仕事の領域
一八九八年ミュンヘン――宮廷訪問
婦人服の革命
第七章 ブリュッセルとベルリンの間で
ハリー・ケスラー伯爵との出会い
コルネリア・リヒター邸での講演
ブリュッセルそれともベルリン?
ブリュッセルのコブデン=サンダーソン
カール・エルンスト・オストハウスとの出会い
ベルリンへの移住
第八章 ベルリンの世紀末
ベルリンの空気
エリーザベト・フェルスター=ニーチェ夫人を訪ねる
ベルリンでの生活
ワイマールへの招聘
第九章 ワイマール その一――創造の絶頂期へ
「美術工芸ゼミナール」
ユーゲントシュティル
大公の母君の供で視察旅行
『美術工芸の素人説法』とフォルクヴァンク美術館
ワイマール宮廷にて
ワイマールのケスラー伯爵
ベルヴェデーレ城での知的生活
「ハンブルク―アメリカ航路」のための客船設計とアジア旅行
皇帝の侮辱
若き大公妃
一九〇三年「ドイツ芸術家連盟」の結成
ニーチェ文庫
「新生ワイマール」
ある高貴な変人
大公妃の悲劇的な結末
ルイーズ・ドゥモンのための劇場計画
建築家シグルド・フロステルス
新しい宮廷劇場?
一九〇五年パリへ――ワイマールのゴードン・クレイグ
第一〇章 ワイマール その二 ――決定的な仕事と事件
一九〇六年「ドイツ芸術家連盟展」をロンドンで開催
「一九〇六年ドレスデン美術工芸展」についての論争
「ホーヘンホーフ」
ケスラーの失脚
ワイマール美術工芸学校
「ホーヘ・パプラン邸」
ワイマールの婦人たち
巡回展覧会
芸術理論に関する文章
イエナのアッベ記念堂
ドイツ工作連盟
第一一章 ワイマール その三 ――失望と破局
一九一〇年ブリュッセル世界博覧会
リガの牧師館
パリの「シャンゼリゼ劇場」
ガブリエーレ・ダヌンツィオとの出会い
第一次世界大戦勃発前
ニーチェ記念碑の設計
一九一四年ケルンのドイツ工作連盟劇場
ドイツ工作連盟の議論
すべてに対する疑惑
辞任、第一次世界大戦勃発そしてワイマール期の終わり
アルフレート・ワルター・ハイメルの死
戦時下のワイマールにて
ドイツ生活の終わり
第一二章 スイスでの出来事 一九一七~一九二〇年
ベルンとチューリッヒでの芸術家や知識人たちとの交流――ルネ・シッケレ
エルンスト・ルードヴィヒ・キルヒナーを訪ねる
社会主義者カミーユ・ユイスマンス、アンネッテ・コルプ、フェルッチオ・ブゾーニ、ケスラー伯爵たちとの出会い
ベルンとチューリッヒにおける講演――クラーレンスへの移住
フランス・マゼレールとロマン・ロラン
ウットヴィル
第一三章 オランダのクレラー=ミュラー夫妻のもとへ
第一四章 ベルギーへの帰国:公職につく
ブリュッセルの研究所(ISAD)
七〇歳の誕生日
ヘンドリック・デ・マンとOREC
一九三七年パリ世界博覧会
一九三九~四〇年ニューヨーク世界博覧会
ゲント大学図書館の建設
第二次世界大戦――ベルギーの終末
第一五章 一九四七~五七年 オーバーエゲリでのエピローグ
解説:芸術家 アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド クラウス=ユルゲン・ゼムバッハ
編者解題 ハンス・クルイェル
訳者のことば
参考文献
索引