幻の詩集、初の全訳。
日本平安時代初期の藤原佐世撰『日本国見在書目録』(西暦八〇〇年代後半)に『王梵志詩二巻』『王梵志集二巻』と見えていたが、以後日本・中国ともに行方不明となったものの、20世紀初頭敦煌蔵経洞が開かれ「敦煌遺書」の中に発見された詩集を、現代日本語訳で読む。
本詩集は、真剣にこの世に生きる人や、生死を考える人々には、宗教性を超えたゴスペルの書であり、時代を超えた精神の癒しの内容が満ちている。
【王梵志の詩は、五言を主とする白話体で詠まれ、当時の口語を用い、また俗語を多く含むところに特色がある。彼の出身地の河南に広く歌われていた民間歌謡を彷彿とさせるものであるとされるが、しかし、その内容は仏教の無常や輪廻の思想に基づき、世俗に生きる人間たちの罪を犯す愚かさを繰り返し歌い、この世に宝を積むのではなく、死後の世界のことを考えるべきことを風刺や諧謔を交えて強く訴える。人の命は短くすぐに死がやって来ること、そのことを知るならば、今すぐに善を積み愚かであってはならないのだという。そこには常にこの世の安楽を求める者への強い警鐘が鳴らされ、安穏として生きている人間に恐怖を与えることとなる。そのような王梵志の立場は、入矢義高氏の指摘するように、遊化僧あるいは化俗僧にあろう(「王梵志について」『中国文学報』第三・四冊)。その詩体は「梵志体」と呼ばれ、寒山の詩(寒山は唐の詩僧。ただし、実在か否か不明。樺皮を被り布の袋を着け破れた靴を履き風狂を楽しんだといわれる。詩は仏教的な勧善懲悪の思想を詠む。拾得と交遊があった。)にも影響を与えた。】……解題より
【凡例】
一 本書は、敦煌出土の「王梵志詩集」の日本語全訳注である。ただ、詩集の名称は「王梵志詩集」「王梵志詩」「王梵志集」などとあるが、ここでは「王梵志詩集」を用いる。
一 本文の底本は、項楚『王梵志詩校注』(上海古籍出版社/中国)を用いた。校注による諸本は、スタイン本・大正新脩大蔵経・王梵志詩校輯本(張錫厚)・王梵志詩集・ペリオ本・ロシア本・日本奈良寧楽美術館本・その他残巻が用いられている。
一 文字の欠落については、□□□で示した。
一 〔 〕に示されたものは、校注が底本以外から埋めたものである。
一 本文の校注に関しては、主に項楚校注本『王梵志詩校注』に基づき、また張錫厚校輯本『王梵志詩校輯』を参照した。ただ校注に注のない多くの語彙については、閻崇璩編著『敦煌変文詞語匪釈』を参照し、その他漢語辞典・中国語辞典・仏教語辞典などを参照して注を施した。
一 本詩集の数は、校輯本では三二九首と補遺として七首を挙げる。また校注本では三九〇首を挙げる。この詩数の相異は、校輯本以降に新たな王梵志詩が発見されつつあることによる。
一 本詩には多くの漢籍・仏典由来の語彙が見られるが、ここではその典拠を割愛した。必要に応じて校注本を参照されたい。
一 本文には異伝が多く、項楚氏の校注でも「後考を待つ」と…