寛永18年(1641)10月16日附から翌19年9月24日附までの諸方宛て書状案304件を収載。江戸参勤途次近江通航に始まり、将軍家光への拝謁、世子家綱の成長、帰国後の宮廷医師往診を得た加療、紀州德川光貞を憚る改名、幕府の「寛永諸家系図伝」編纂事業対応、領内・諸国天候・虫害・作柄・飢人への関心、肥後天草代官鈴木重成着任等を綴る。光尚は、細川家系図を提出するため長岡孝之が細川藤孝(幽斎)から継承した織田信長発給文書等を取り寄せ、曽祖父藤孝の養父につき幕府儒者林信勝・尾張藩儒堀正意に系図調査を依頼し、祖父忠興の養父についても京都の古老に照会する。幕命での百姓島原・天草移送、豊後日出城主木下延俊(縁戚)病死後の相続問題関与、狩野探幽への収集絵画鑑定依頼にも注目。近世政治史と寛永飢饉の基本史料。