Ⅰ 天神と高御産巣日神・天照大神二神併記の表記からみる古事記の世界
―天照大神と天御中主神について―
一 造化三神と天照大神の概観 イ 天御中主神 ロ 高御産巣日神・神産巣日神 ハ 天照大神
二 別天神の研究史
三 天神周囲の問題点
四 天神についての問題点
五 天神の秩序原理「高天の原」「命以」「言向」の概観
六 天神御子についての問題点
七 天神(天神御子を含む)用例二十九例の「天神」とは誰を指すのか
八 高御産巣日神・天照大神二神併記の研究史
九 文脈からみた同二神併記の問題点とその検証
十 同二神併記と高木大神の意味
十一 高御産巣日神と天照大神について―天御中主神「別天神」を語る意図
補説 皇祖神発想の素地
Ⅱ 神功皇后の新羅征伐伝説と朝鮮関係記事―日本書記を中心に六国史をみる―
日本書記撰者の三韓問題に関する構想―神代・崇神・垂仁紀と学界の定説について
一 神功・応神紀 朝鮮出兵
二 雄略紀 応神三十九年308(428)・己巳年429(雄略二年所引)間で干支二運繰り上げ差を解
消し実年代に戻す
三 顕宗紀 百済南進 任那の防衛と帯山城攻略
四 継体紀 任那滅亡に至る過程と天皇甲寅・辛亥崩年問題
五 欽明紀 新羅討伐と任那滅亡
六 敏達・崇峻・推古紀 新羅の任那併合後の動向
七 舒明紀 皇后宝皇女から天智。天武の皇統を築く
八 皇極紀 百済・高句麗大乱
九 孝徳紀 新羅貢調使唐服着用 朝貢を初めて否定し唐と結び半島統一を意図する
十 斉明紀 唐羅連合百済王都陥落 義慈王連行と朝廷の救援軍派遣
十一 天智紀 百済・高句麗の滅亡
補説 新羅唐確執の淵源 無実の罪を負う黄山の戦い
十二 天武紀 白村江戦後の混乱と新羅「請政」 新羅三国統一の援助承認を求める
十三 持統紀 新羅「奏請国政」 新羅三国統一の援助承認継続を求める
補説 新羅朝貢再開より天武・持統朝に至る新羅「請政」「奏請国政」の意図
十四 続日本紀より三代実録にみる新羅等朝貢記事
イ 文武紀 新羅朝貢拝賀常儀のごとく多く年歳を歴て貢ぐところ虧くこと無し
ロ 元明紀 新羅遣使朝貢す
ハ 元正紀 新羅貢調使来朝す
二 聖武紀 新羅朝貢否定(来朝年期を奏請 国号「王城国」と改称 常礼を失し遣使の旨
を受けず)渤海初朝貢
補説 天武・聖武期にみる日羅関係転換期の特徴と大伴氏
ホ 孝謙紀 新羅王子来朝貢調するも礼無し 渤海遣使朝貢し君臣の義を現す上表文無し
ヘ 淳仁紀 新羅七年間遣使なく新羅討伐を計る 二度の新羅遣使に旧調常例を求む
ト 称徳紀 新羅遣使序での便りに「土毛」を貢上 便りに付け貢するから調と称せず
チ 光仁紀 新羅再度朝貢否定(朝貢を「修好」 貢調を「国信」 御調を土毛・信物)宣
徳王朝貢常礼に復す
リ 桓武紀 渤海国使三度来朝するも新羅朝貢なし
ヌ 嵯峨紀 渤海国遣使入觀四度来朝す
ル 淳和紀 三度の来朝渤海国入觀使に位階叙位す
ヲ 仁明紀 遣新羅国使復命に新羅の誣却を被り使命を失う 渤海国入觀使三度の来朝す
ワ 文徳紀 対馬島叛乱す
カ 清和紀 渤海国入觀使来朝す 新羅海賊豊前貢調の掠奪を兵寇の兆しとみて白村江663
以来の兵乱を恐る
ヨ 陽成紀 渤海国入觀使へ位階叙位す
タ 光孝紀 新羅国使来朝(国牒信物持参)国使の使命を全うさせ放還す
六国史等朝鮮関係記事 略年表
Ⅲ 古事記注崩年干支・固有五系譜と日本書紀との関係について
一 記注崩年干支について
イ 記注崩年干支の研究史 ロ 伴信友「日本紀年曆考」
ハ 菅誠友「古事記年紀考」 ニ 那珂通世「上世年紀考」
ホ 吉田東伍「日韓古史断」 ヘ 橋本増吉「東洋史上ヨリ観タル日本上古史研究」
ト 倉野憲司「古事記の本文と分註との關係についての本文批評的研究」
チ 末松保和「古事記崩年干支考」 リ 神田秀夫「古事記の構造」
ヌ 笠井倭人「上代紀年に関する新研究」
ル 高林實結樹「『日本書記』編年考」 ヲ 栗原薫「上代の紀年」 ワ まとめ
二 古事記固有の五系譜について
イ 古事記固有の五系譜概観 ロ 神功皇后を構成する諸系譜の研究史
ハ 五系譜の展望
ニ 系譜の検討〔日子坐王系譜/倭健命系譜/天之日矛系譜/若野毛二俣王系譜/忍坂日子
人太子系譜/記注崩年干支・五系譜と日本書紀との関係〕
Ⅳ 古事記の神話構造
一 古事記独自の別天神・天神・天神御子 二 古事記における産巣日二神の役割
三 国譲り・天孫降臨にみる二神併記の表記変化 四 二神併記は「天神」とどう係わるか
伍 「天の石屋戸」の指令神は誰か 六 「天孫降臨」の表記破格の記述は何故か
後記