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純文学という思想
著:小林 敦子
内容紹介
純文学とは何か—北村透谷・志賀直哉・高見順たちが繋いできたもの—
私小説の時代は終わったが、我々は我々自身の生を否定するところまでは行っていない。
生とは何か、ということを追求せずに、純文学を否定してよいのか。
純文学の作家たちは、徹底して「生」について考えた。
生は自らの内にあり、内部生命は何ものにも従属してはならず、その先に他との出会いがある。
目次
序
一 純文学とは何か
二 「純文学」言説の歩み
a 「純文学」の語の登場
b 大正末の「私小説」・「心境小説」
c 一九三〇年代の「純文学の危機」
d 一九六〇年代の純文学論争
三 指標としての高見順
第一章 文学の独立
一 文士
二 文学の独立
a 北村透谷がひらく道
b 「社会」からの独立
c 読者からの独立—文壇の意味
第二章 私小説の意味
一 「私」をめぐって
a 私小説批判
b 「私」の解体と制度論
二 私小説の意味
a 何が私小説か、誰が私小説作家か
b 私小説の極致としての心境小説
c 小説というものの宿命的性格—「私」の叙事
d 生の流れとしての小説
e 私小説の「私」—「私」・作品と一体化する「私」
f 私小説と他者—「私」ならざるものへ
第三章 純文学とその先
一 純文学—自我の拡充としての文学
二 内なる歴史と純文学
a 「歴史小説」をめぐる問題
b 内なる歴史と純文学
結
注/あとがき/索引[書名・人名・事項]