1868▼(慶応▼(明治)4) 1月27日
【1月3日】 「戊辰戦争―慶応4年(1868)年1月3日~明治2年(1869)5月18日」、はじまる。「鳥羽・伏見の戦い」では、伏見・下鳥羽・淀で大規模な戦闘があり、伏見の町が焼失する。
1月31日
【1月7日】 新政府、「徳川慶喜征討令」を発する。
2月3日
【1月10日】 新政府、「農商布告」を出して旧幕府直轄領を没収することを宣言。
2月10日
【1月17日】 新政府、「三職七科の制」を定めて分課する。
2月25日
【2月3日】 明治天皇、二条城太政官代に行幸し、討幕の為の「徳川慶喜親征の詔」を発布。
2月25日
【2月3日】 新政府、三職七科制を改め、「総裁局」を新設、「三職八局の制」とする。
2月28日
【2月6日】 新政府、西国22藩に従軍令を発す。
3月2日
【2月9日】 「新政府、東征軍編成」。政府首班の総裁・有栖川宮熾仁親王を、東征大総督に任命。
3月15日
【2月22日】 維新政府の教育政策は、まず京都において開始された。新政府、京都に学校掛を設置。
3月26日
【3月3日】 「戊辰戦争―赤報隊処刑」。
4月6日
【3月14日】 新政府、国家基本方針「五箇条の御誓文」を発表。
4月7日
【3月15日】 新政府、旧幕府の高札を撤去し、新たな禁令五条を定めて掲示(切支丹邪宗門禁制の高札)。
4月9日
【3月17日】 「神仏分離令(正式には神仏判然令」)が出される。この日から明治5年(1872)9月15日までに出された太政官布告、神祗官事務局達、太政官達など一連の通達の総称である。
4月25日
【4月3日】 「戊辰戦争」。近藤勇、投降し、4月25日、処刑。
5月3日
【4月11日】 「戊辰戦争―江戸城、無血開城」。
5月22日
【閏4月1日】 「府藩県三治制」布告。廃藩置県直前の府・藩・県の数は府3、県40、藩261。京都府成立。
6月11日
【閏4月21日】 「天皇親政の布告」が出される。朝廷の大幅改革がはじまる。
6月11日
【閏4月21日】 「太政官制設置~1885.12.22」。▼太政官に議政・行政・神祗・会計など七官を置く(七官両局の制)。
6月19日
【閏4月29日】 神泉苑西に「京都府開庁」、「京都府開庁記念日」となる。京都裁判所が「京都府」に改称。
6月29日
【5月10日】 「癸丑(嘉永六年)以来殉難者の霊を京都東山に祭祀する件」。明治天皇、幕末非命者慰霊の太政官布告第一を出す。京都東山に招魂場設立が宣せられた。
7月4日
【5月15日】 太政官札5種が発行される。
1868▼(慶応▼(明治)4) 8月
【6月】 この月頃、山本覚馬、「管見」を薩摩藩主を差し出す。
8月27日
【7月10日】 京都府、「町組五人組仕法」を公布。二条通を境に、以北を上京、以南を下京と言う呼称を始めて公式化し、これを大組と称す。
9月3日
【7月17日】 明治天皇、「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」を勅す。
1868
(明治1) 11月6日
【9月22日】 「戊辰戦争(会津戦争)―閏4月20日~9月22日」・「鶴ヶ城籠城戦―8月23日~9月22日」、終結。会津藩が降伏。
11月10日
【9月26日】 「戊辰戦争(東北戦争)―5月3日~9月26日」終結。
11月12日
【9月28日】 京都府、「小学校設立の仕法」を各町組に示達。
11月30日
【10月17日】 天皇が万機を親裁する旨の詔が出される。
1869
(明治2) 3月12日
【1月30日】 「第二次町組改正」。上下京の境を、二条通から「三条通」に変更、上京大組1番組~33番組、下京大組1番組~32番組に区分する。
5月9日
【3月28日】 「東京奠都」。
6月22日
【5月13日】 「政体書―公選」。上局(議政官)再廃止、上下局設置。さらに、明治最初の役人選挙(三等官以上)、行われる。
6月27日
【5月18日】 五稜郭開城。「戊辰戦争―慶応4年(1868)1月3日~明治2年(1869)5月18日」終結。「戊辰戦争(箱館戦争、五稜郭の戦い)―10月26日~明治2年(1869)5月18日」終結。
6月30日
【5月21日】 「日本最初の学区制近代小学校が誕生」。京都府が、小学校の諸規則を制定したこの日、富小路御池角守山町に、上京二十七番組小学校(現・柳池中学校)が学舎落成開校式挙行。
7月25日
【6月17日】 「版籍奉還」。朝廷、諸藩の版籍奉還を勅許。
8月15日
【7月8日】 「政体書―改正」。新政府は太政官制職員令(1869.7.8設置~1871.7.29改正)を制定。
8月24日
【7月17日】 太政官布告により、「府」は京都・東京・大阪の3つのみとされ、他はすべて「県」に改称。
1870
(明治3) 2月3日
【1月3日】 「神祗官にて祭典、鎮祭の詔ならびに宣布大教の詔」。
3月6日
【2月5日】 華族の染歯(お歯黒)や描眉が禁止される。
10月4日
【9月10日】 「藩制布告」。新政府、藩制改革の布告を出す。
10月13日
【9月19日】 「平民苗字許可令」公布。
12月12日
【閏10月20日】 「工部省を設置―殖産興業政策を推進」。
1871
(明治3) 1月27日
【12月7日】 日本で最初の近代中学校・高等学校、「京都府中学校」が開校。
2月11日
【12月22日】 「舎密製造所仮局」設置。
2月13日
【12月24日】 平民の帯刀、禁止。
1871
(明治4) 2月23日
【1月5日】 「寺社領上知令」(第一次上知令)を太政官布告。
3月30日
【2月10日】 京都で勧業場設置。
4月20日
【3月1日】 「郵便制度施行」。
5月22日
【4月4日】 「府藩県戸籍の法改正(抄」)制定(いわゆる壬申戸籍)。
6月5日
【4月18日】 平民の乗馬が許可される。
6月27日
【5月10日】 近代日本最初の貨幣法・「新貨条例」及び造幣規則が布告。
7月1日
【5月14日】 太政官、「神社は国家の宗祀につき、神宮以下神社の世襲神職を廃し精選補任の件」・「官社以下定額及神官職員規則等」を布告。
8月3日
【6月17日】 「寺院御所号・門跡号・院家・院室等の名称廃止」太政官布告。
8月29日
【7月14日】 「廃藩置県」。明治天皇、在京56藩知事を集め、廃藩置県の詔書を出す。
9月13日
【7月29日】 職員令廃止、「太政官職制」公布。二官八省制から三院制にになる。正院(太政大臣・納言・参議等)、右院(諸省)、左院である。
9月23日
【8月9日】 旧風を改め、華士族の散髪・廃刀の自由が認められる。
9月
【8月】 この月、平民が羽織・袴を着用する服装の自由を認める。
10月1日
【8月17日】 武士の「切捨て御免」を禁止。別名を「無礼討」。
10月7日
【8月23日】 華族・士族・平民階級間の結婚が自由化される。
10月20日
【9月7日】 明治政府、作付制限を撤廃し田畑勝手作を許可。
11月15日
【10月3日】 「先般戸籍法改正につき、従前の宗門人別帳廃止、提出に及ばざる件」大蔵省達。
11月22日
【10月10日】 日本最初の博覧会「京都博覧会」、この日より、西本願寺大書院で開かれる。
12月10日
【10月28日】 初めての地方統一官制である、「府県官制」を制定。
12月23日
【11月12日】 岩倉欧米使節団、横浜出航、条約改正交渉、海外視察を行う。
12月24日
【11月13日】 この日から22日にかけて、全国の県を改廃し、1使3府72県とする。
1872
(明治4) 1月9日
【11月29日】 「裸体禁止」。外で裸で仕事をしたりするのが禁止になる。
1月26日
【12月17日】 官庁吏員の靴履き登庁を許可。
1月27日
【12月18日】 官吏以外の華族・士族・卒に、農・工・商業を営むことを認める。(職業の自由)。
1872
(明治5) 2月18日
【1月10日】 東海道各駅の「伝馬所」・「貫目改所」が廃止され、自由往来の妨げになっていた助郷解散令も出される。
3月8日
【1月29日】 卒を士族と平民に分け、新身分制度(皇族・華族・士族・平民)が確立する。
1872
(明治5) 3月9日
【2月1日】 日本初の近代的な全国戸籍調査実施、総人口は33,110,825人。
3月23日
【2月15日】 土地(田畑)永代売買の禁を解く。
3月29日
【2月21日】 日本初の日刊新聞「東京日日新聞」が創刊。(現在の毎日新聞)。
4月12日
【3月5日】 「日本初の万国博覧会開催」。湯島聖堂大成殿が会場。
4月17日
【3月10日】 「第一回京都博覧会開催」。
4月20日
【3月13日】 「都をどり創始」。
5月4日
【3月27日】 「神社・仏閣の女人結界の地廃止、登山参詣自由たるの件」太政官布告。
5月20日
【4月14日】 「新英学校及女紅場開校」。京都府、我が国最初の公立女学校」を開校。
5月31日
【4月25日】 僧侶の妻帯・肉食・伸髪・平服が許可される。
9月4日
【8月2日】 政府・文部省、近代教育発程の第一歩たる「学制」(「学事奨励に関する被仰出書」)制定(学区制と就学奨励)につき布告。翌日全国に頒布。
10月2日
【8月30日】 明治政府が農民の職業自由、年貢米の金納、商業兼業を許可。
10月14日
【9月12日】 「鉄道開通」。新橋・横浜間29kmに鉄道が開業。日本初の鉄道路線。
12月24日
【11月24日】 「大教院建設、神社・寺院・説教所を小教院として三条教則に基き教導の件」教部省達。
12月28日
【11月28日】 「徴兵の詔」、出される。