どぶ板ストーリー
時代を映し、地域に根ざしたオリジナルな作品づくりをしてきた演劇集団THE素倶楽夢が、初めて基地の街、横須賀をリアルに描こうとした作品です。
花街・安浦○○哀詩
この作品は、花街で生きるしかなかった菊絵という一人の女性の生涯を通して、時代に翻弄され捨て石にされていった、か弱き庶民の理不尽さを描いたものです。
識字の詩が聞こえる 〜ふくろうが鳴くとき〜
学校教育から切り捨てられ、文字を学ぶチャンスを奪われた人たちは、「識字」で文字を学び、自分の人生を生き直してきたとも言る。僕は若いとき山谷で働いていたせいか、社会の底辺で生きている人たちに対してずっと共感してきました。この作品は故大沢敏郎さんの実践への鎮魂歌であり、識字で学んだ全ての人々に捧げます。
街に陽が昇るとき 〜俺たちはゴミじゃない
1983年2月5日、須藤泰造さんは、山下公園の売店の横に寝ていたところを中学生たちに襲われ2日後に亡くなりました。享年60歳でした。何故彼が殺されたのか、殺されなければならなかったのか。襲った中学生は加害者ですが、須藤さんのような野宿生活者たちとともに、中学生たちもまた被害者だったのかもしれません。
作品を通して社会の底辺で働いている人たちに理解と共感を願うとともに、子どもたちも社会の写し鏡だということを考えて欲しいと願います。
よこはまの夜間中学に燈が灯る
1984年に横浜で最初の夜間中学が誕生しました。子安浜の漁師の子どもたちに教育の機会を与えたいという地元の先生たちの熱意で実現したのです。それから65年、東京湾の埋め立てによる海洋汚染により完全転業を余儀なくされた子安浜の漁師たちの苦悩の結果、当初は子安浜の漁師の子どもたちの学びの場として開かれた学級も、子安浜の子どもたちだけでなく、中学卒業資格を取るためいろいろな人たちが集まり、やがて外国籍の人たちの学ぶ場になた。しかし、その学舎には受験(受検)や競争とは違う教育の原点を照らす、生きた人間教育の実践が脈々と流れてきたのです。
いのち輝く不思議の森
僕が三浦半島の南端に広がる小網代の森を初めて訪れたのは今から30年前です。そのとき見た光景は今でも忘れられません。鬱蒼と生い茂った深い森、ぬかるんだ道なき道。手つかずの自然の光景に感動でからだが震えたのを覚えています。
ところが1980年代、この森をゴルフ場にという計画が持ち上がりました。当時日本全国で国土改造計画のため、海岸が埋め立てられ、かつては日本中どこにでも生息していたアカテガニは激減してしまいました。
ゴルフ場建設の危機に直面し、森を守ろうと立ち上がったNPOの人々は、それから30年間地道に保護活動を続け、ついに小網代の森は保全される。30年間くじけずに保全活動を続けていく原動力は何だろう。自然を保護するとは?人間が自然と共に生きるにはどうしたらいいのか?そんな疑問が『いのち輝く不思議の森』を創るきっかけでした。