目 次
序 章
第1章
 1 イーゴリ・スヴャトスラヴィチ
    ―「謎めいた遠征」を指揮した「無名の公」か?
  	 若年期のイーゴリ
  	 武人としてのイーゴリ公
   1185年の遠征
  	 ィーゴリ軍の壊滅
   イーゴリの脱走
   帰国後のイーゴリ
 2 歴史的事件の重要性に関する
    同時代人とその子孫たちによる評価の違いについて
   同時代の年代記におけるイーゴリの遠征
   同時代に及ぼすインパクト
  	 罪―罰―懺悔―許しの構図
   後世における遠征のインパクトの低下
  	 後世にインパクトが増大した事例
第2章
 1 アレクサンドル・ネフスキー
    ―英雄か、それとも対敵協力者か?
   ノヴゴロド公となるまで
   ノヴゴロド公としての統治の開始
  	 ネヴァ川の戦いでスウェーデンに勝利
   ドイツの十字軍騎士団の侵攻
   チュード湖の氷上の戦い
   父ヤロスラフ大公の死
   ルーシ諸公中の「年長者」に
   ウラジミール大公アレクサンドル
  	 モンゴルを支え、西と戦うアレクサンドル
  	 アレクサンドルの最期
  	 英雄か、対敵協力者か
  	 頼れないカトリック
  	 アレクサンドルは弟たちを売ったのか?
   「現実主義者」アレクサンドル
 2 祖国を守るということ
  	 モンゴル侵攻以前の「愛国」の表現
  	 モンゴル侵攻以後の「愛国」の表現(13~14世紀)
  	 14~15世紀の「愛国」の表現
  	 ルーシにおける「愛国」の変容
第3章
 1 ユーリー・ダニーロヴィチ―ロシア国家の建設者か、
    それともトヴェリの聖ミハイル公の殺害者か?
  	 生誕・父の死・大公アンドレイとの戦い
  	 ライバル・ミハイルとの競合
  	 ノヴゴロドをめぐる戦い
  	 逆転のウラジーミル大公の獲得
  	 コンチャーカの死とミハイルの処刑
   ミハイルの子らとの戦い
  	 ドミトリーのユーリー殺害とハンによるドミトリーの処刑
  	 モスクワを北東ルーシ第一の立場へ
  2 「殺人」観の発展
   異教徒が行う処罰としての殺害
  	 殺害を控える事例の増加
  	 キリスト教の浸透と殺人の忌避
  	 モンゴルの征服と殺人観の新たな変化
  	 ルーシにおける殺人観の変化
第4章
 1 ドミトリー・ドンスコイ
    ―「ルーシのツァーリ」か、それともハンの「臣下」か?
   モスクワの第一相続人になるまで
   大公位相続の失敗
   ハン国の内紛と大公位の獲得
   トヴェリ及びリトアニアとの戦いの始まり
   大公位の奪還
   北東ルーシ軍事同盟の結成
  	 ママイとの衝突の頻発
  	 クリコヴォの戦い
  	 ママイの敗北とトクタミシュの台頭
   トクタミシュのモスクワ攻略
   トヴェリ公ミハイルとの最後の戦い
   トクタミシュとの妥協の成立
   ウラジミール大公位がモスクワの相続物になる
 2 「ツァーリ」と「ツァーリの国」のイメージ
  	 古代ロシアにおける「ツァーリ」
   一三世紀における「ツァーリ」の意味の変化
   ハン国の「ツァーリ」の宗主権に疑念なし
   「ツァーリ」への抵抗という考えの萌芽
   モスクワ大公が「ツァーリ」と呼ばれ出す
  	 ツァーリは別のツァーリに従属しない
  	 ハンはツァーリではない―大主教ヴァシアンの理論
  	 「ウラグ川」後のツァーリの称号の定着の過程
   モスクワ大公家は元々ツァーリの血筋
  	 政治の現実とメンタリティの相互影響
結 論