文士のゴルフ
丹羽学校三十三年の歴史に沿って
著:大久保 房男
紙版
内容紹介
昭和37年に軽井沢ゴルフ倶楽部で誕生した「丹羽ゴルフ学校」。数々の高名な文士ゴルファーとプレイをして、そのゴルフを見てきた筆者が記した、「丹羽ゴルフ学校」に集う文士達の人間模様と平成7年に閉校するまでの33年間の歴史。
(著者あとがきより)
文壇にゴルフ・プ-ムが到来して、共にゴルフを楽しむ会がいくつも出来たが、文士が最も多く参加していて、長く続き、月例会をきちんとやっていたのは、青蕃会とPGAと丹羽学校であろう。
一般市民とは生き方や気質のちがう文士は、紳士のスポ-ツと言われるゴルフをしても、それは紳士のゴルフではなく、文士のゴルフであった。そのプレイぶりやかもし出す雰囲気が一般市民とはちがっていて、紳士から見ると多少お行儀がよくなかったかも知れないが、品格の高いゴルフである。私にはそれが大変魅力があり、それを伝えたかった。
目次
戦前の文士ゴルファー /丹羽文雄ゴルフを始める /丹羽学校の誕生 /ゴルフの陥穽に落ちた私 /丹羽学校事務局の設立 /発足当初の丹羽学校 /丹羽学校とPGAの合同競技 /文化人のゴルフの会(青蕃会、PGA) /青蕃会やPGAの文士ゴルファー /その他の文化人ゴルフ会(G・G会、まあでし会、五五会、球々会、吹き溜りの会、石川学校、丹羽学校水上分校、粗大ごみの会) /丹羽学校の三羽烏 /富田常雄生徒逝去す /丹羽学校の曲り角 /修学旅行 /ホール・イン・ワン /創立十周年記念祝賀会 /丹羽学校の変化 /創立者柴錬さん逝去 /学校のゴタゴタ /アマチュア資格を重んじた校長 /丹羽校長傘寿にして見え始めた老い /丹羽学校の閉校 /あとがき