Ⅰ モノづくり
圧倒的な「モノづくり王国、愛知・名古屋」
驚くことに、43年連続日本一
繊維、鉄鋼、自動車など、24業種中10業種で第1位
縁の下で日本経済を支え、常にけん引してきた「愛知・名古屋のモノづくり」
実は愛知・名古屋は、農業王国でもあった
キャベツ、しそ、とうがん、ふきなどが全国1位
プレゼント用の花は、58年間も1位
漁業は全国15位前後だが、
うなぎ、あゆ、あさり、くろだい、へだい、しらす、くるまえびは、
全国トップクラス
名古屋モノづくりの源流は、「木」、「土」、「糸」、「水」
ずば抜けた身体能力が、愛知・名古屋を〝モノづくり大国〟にした
【木】
それは、徳川家康から息子・義直への結婚祝いだった
木曽の山林を手にしたとき、名古屋の「モノづくり」が はじまった
豊富な木材の集積は、繊維、工作機械、自動車、航空機へと続く、
「モノづくり大国」の土壌となった
日本初の機械時計(和時計)をつくった津田助左衛門
ゼンマイ、歯車、カムという「からくり」技術が、「木」に命を吹き込んだ
【土】
日本列島誕生のドラマのなかで、「東海湖」という巨大な湖が生まれ、
まったく種類の異なる陶土を堆積させた
織田信長は、「御茶湯御政道」として、
瀬戸焼(美濃焼)を保護し、陶磁器産業を発展させた
洋食器、碍子、自動車プラグ、衛生陶器、タイル……
世界をリードするセラミック企業集団は、名古屋の「土」から生まれた
【糸】
漂着した崑崙人によって、日本初の木綿が三河国へ
江戸で大評判となった三河木綿・知多木綿が、繊維産業のルーツとなった
木綿針を売り歩いた秀吉、木綿の種を岡崎へ持ち込んだ於大
まるで、昭和初期にタイムスリップしたような町並み
豊田佐吉も織機の技術を学んだ木綿の里「知多市岡田」
尾張は江戸時代以来、綿織物の一大産地
近代に入り繊維王国と呼ばれた
【水】
大型河川の「水」は、地域全体に潤いを与え、
口当たりまろやかな伏流水は、知多半島を、醸造産業の一大集積地にした
名古屋圏には計73もの水力発電所がある
ここでつくられた電力は、名古屋「モノものづくり」のエネルギーとなった
農業、畜産業、園芸にも生かされた
愛知用水、明治用水、豊川用水の愛知三大用水
Ⅱ 武将のふるさと
江戸大名の約7割は愛知(尾張・三河)出身 武将のふるさと愛知
江戸300藩における「尾張武士・三河武士」の内訳
織田信長の時代
豊臣秀吉の時代
徳川家康の時代
尾張武士
三河武士
明治以降も「華族」として生き残った尾張・三河武士の末裔たち
愛知から全国へ拡がった人、文化、風俗
Ⅲ 日本をつくる
日本のカタチ、日本人の性格は、名古屋がつくった
【人をつくる】
戦国時代に終始を打った、徳川家康の秘策
上下関係こそ、「絶対の真理」と説く儒教の導入
日本人の「モラルと気質」をつくった徳川家康
「朱子学」+「武士道」+「三河武士の気質」が、明治以降の「道徳」になった
世界が驚いた、日本人のマナーと倫理
【街をつくる】
慶長5(1600)年からの15年間は、空前の築城ラッシュ
国宝4城をつくった名古屋の武将たち
大坂を作った秀吉、江戸を作った家康
県庁所在地の4分の3は城下町 今も尾張・三河武士がつくった町割が残る
【文化をつくる】
歌舞伎、相撲、囲碁を育てた信長
茶道、舞踊、落語を愛した秀吉
能、将棋、鷹狩を好んだ家康
【体制をつくる】
日本の組織・体制は、三河武士の「庄屋仕立て」から
名古屋を知ることは、日本を知ること
Ⅳ 名古屋城と城下町
もう一度、見直してほしい、名古屋城の本当の価値と魅力を
名古屋城
名古屋城は、築城技術が数千年かけてたどり着いた縄張、建造物、機能
[背景]関ケ原の戦いから10年、家康は豊臣家との最終決戦を決意
[地選]名古屋(那古野)台地に、史上最強の軍事要塞を築城せよ!
[縄張]直線と直角が成した究極の縄張 これが、近世城郭が到達した最終形
[普請]大名20家、人夫20万人を動員した天下普請(国家プロジェクト)
[作事]小堀遠州、中井正清、岡部又衛門など、家康が呼び集めたドリームチーム
[防御]近世城郭が到達した最強の軍事装備 桝形門、多門櫓、馬出、鵜の首
[物語]天守に縄をくくりつけ、みんなで持ち上げた宝暦の大修理
陰謀と策略がうずまく、幕府からの押し付け養子の4人
大凧に乗って、金シャチを盗んだ!? 柿木金助の怪盗伝説
パートで働いていた甲賀忍者をはじめ、名古屋城にも忍者がいた
官軍と幕府軍に分かれて戦った幕末の高須4兄弟
観光用か? 文化財か? 名古屋城天守の木造復元
本丸御殿
《玄関(遠侍)》剣豪・宮本武蔵、名古屋城に見参!
《表書院(広間)》「大坂の陣」の作戦基地になった大広間
《対面所》派手婚のルーツ、義直と春姫の婚礼
《上洛殿(書院)》尾張藩主・義直と将軍・家光との確執
《障壁画》日本画史上最大の画派「狩野派」
《黒木書院》黒木書院は徳川家康との思い出
城下町
今も江戸時代も、ほとんど変わらない、名古屋中心部の区画
《城下町の概要》町人地を中心に配置した、最新の城下町
《清須越》武士3万人、町人6万5千人、寺院120、神3、町67が大移動
《碁盤割》今も通りに残る、碁盤割の町名
《堀川》城と熱田湊を結んだ、城下町の大動脈
《街道》江戸の風情の残る、名古屋城下の街道
人物
徳川義直
徳川宗春
徳川慶勝
Ⅴ 名古屋ブランド
まもなく名古屋は、東京の経済圏、文化圏、生活圏に入る
名古屋人は、どこから来たのか?
尾張人気質と三河人気質が混じった名古屋人
名古屋弁には、十種類以上の言葉がブレンドされている
ひとりの異端児から生まれた「芸どころ名古屋」
最先端すぎて、人工的に感じる名古屋の街並み
大都市なのに手付かずのまま眠っている名古屋の宝物
日本をギュッと凝縮すると、名古屋になる
名古屋ブランド