" 女相撲と聞いて、浮かぶのはどんなイメージだろう。昭和三十〜四十年代まで、余興としては最近まで、おもに東北・九州地方で行われた女相撲について知れば、大方の読者が抱くであろうマイナスのイメージは払拭されるに違いない。シャツに廻しという姿もさることながら、内容も取組のほか、餅搗きなどの力芸、女相撲甚句踊りなどが披露され、お祭りのように観客を楽しませるものだった。これは職業的な興行女相撲も、各地に伝わる女の草相撲も同様である。女性が相撲を取ることの珍しさ、勇ましさ、迫力は、見る人々を魅了し、そればかりでなく、女性自身に自分も取ってみたいと思わせる魅力も持っていたことが、人々への聞き取りなどから明らかになる。フィールドワークと考察を重ね、女相撲の魅力に近づくことによって、女性が相撲を取ることの意味、それが人々や社会、時代にどのように受容されていったのかをときあかす。なお、女相撲が伝承されてきた東方・三陸地方は、東日本大震災の津波の被害を受けた。しかし、流された写真が本書の中にある。奇しくも本書にだけ残されたのである。 民俗学において女相撲は本格的な研究対象として論じられることがこれまでなかった。昭和初期に比較的まとまった形で報告された女相撲が、雨乞のために行われるものであったことから、従来民俗学では女相撲とはその背景に、女性の呪的霊力への期待があるのではないかと解釈されてきた。本書では東北地方(秋田県大館市、岩手県宮古市、大船渡市、陸前高田市)、九州地方(長崎県長崎市、熊本県八代市ほか)で著者が調査を行った事例をふくめた、30余カ所の事例をもとに、女性の呪的霊力観で解釈しようとしてきた従来の民俗学の通説に疑義を呈する。これは、女相撲にかかわらず、女性の関わる営為についての民俗学研究の視座に大きな転換を迫るものである。さらに、明治初期から昭和30年代まで続いた興行女相撲についても詳述し(山形県天童市、山形市ほか)、地域社会の女性が雨乞、余興、奉納のために行う、民俗芸能としての女相撲への影響の考察を通して、民俗の伝播、定着のあり方を明らかにする。
著者はまた、観客の目を意識し、観客との相互作用のなかで演じられる芸能として女相撲や女子プロレスをとらえ、それらが男性の行う相撲やプロレスという領域への女性からの越境の芸能であると考察する。演者(女力士、女子プロレスラー)と観客との関係は、時代や観客の立場によって異なるものである。「観客」は演者に対応する存在として、ひと括りにできる存在ではない。このことを、著者は関係者への聞き取りや自ら土俵にあがって得た実感、新聞・雑誌等にみられる女相撲・女子プロレス評の詳細な分析を通し、「観客」の内実を4つの主体に分けて論じることで、越境性を有する女相撲や女子プロレスの受容のあり方を明らかにする。「観客」はひと括りにできるものではなく、時代や立場によって観客の受容の内実は異なるものであるとする本書の視点と分析は、今後の観客論研究に新たな視座を与えるものでもある。
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