なにが暴力で、なにが暴力でないのか。誰が被害者で、誰が加害者なのか。あなたはその当事者なのか、それとも部外者なのか──本書は「ナラティヴの被害学」という方法論によって、こうした暴力にまつわる諸問題に取り組む。
ある複雑な事象を、加害者たる「やつら」と被害者たる「われわれ」という二元論によって単純化するナラティヴは、暴力は「やつら」の問題なのだとわれわれに教える。そうしたナラティヴが、いかにわれわれの思考を、感情を、言動を、そして誰に同情し、誰を嫌悪するかを強力に規定しているか。ナラティヴの被害学とは、そのことをクリティカルに検討するための枠組みである。
いま、暴力を「やつら」の手から奪還し、加害性を社会全体に再配分せねばならない──まさしく暴力を回避するために。
昭和天皇裕仁「玉音放送」を皮切りに、トニ・モリスン『ビラヴド』、ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』、ハーマン・メルヴィル「バートルビー」、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』、映画『トップガン』シリーズといった諸作品の分析をつうじて、本書『ナラティヴの被害学』は歴史理解における被害性と加害性の重層的なポリティクスを解きほぐす。
遊戯としての人文学から脱却し、人文学の存在意義をクリティカルに問う研究書の誕生!
本書は2024年に『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(光文社)を上梓した筆者が、どのように論文執筆力を培ってきたのか、その成長過程を追った実践例集でもある。
各章は執筆の時系列順に並んでおり、また各章の扉には、章の概要(アブストラクト)に加えて、いつどのような経緯で執筆し、どの学術誌に投稿し、ときに落とされ、どのような改稿を経て掲載に至ったのか、さらには現時点から振り返っての容赦ない批判コメントも付した。
これは研究書であると同時に、世界で活躍する人文学徒のための教育書でもある。
【じっさいは複雑でそのように整理すべきではない事象を被害と加害の二元論によって単純化しつつ、問題を善き「われわれ」と悪しき「やつら」の対立へと還元し、暴力と加害を他者の領域に追いやる、そのようなナラティヴの諸効果を暴くために、そしていかにわれわれが意図せずそのようなナラティヴに毒されているのかを暴くために、被害学はある。[…]いま、暴力を「加害者」の手から奪還し、加害性を社会全体に再配分せねばならない──まさしく暴力を回避するために。】……「第1章 ナラティヴの被害学」より
■各章で論じる対象・作家・作品
「玉音放送」/ノラ・オッジャ・ケラー『慰安婦』/トニ・モリスン『ビラヴド』/ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』/デブラ・グラニク『足跡はかき消して』/ハーマン・メルヴィル「バートルビー」/『トップガン』シリーズ/村上春樹…