Ⅰ 近代文学の諸断面
『吾輩は猫である』とタカジアスターゼ
近代温泉医療の夢と挫折——ベルツ・田山花袋の伊香保体験をめぐって
鷗外「大塩平八郎」の読み方——野口存彌「森鷗外『大塩平八郎』を読む」にふれて
コロナ禍で、感染症と文学を考える——百年前のスペイン・インフルエンザ小説と今
「多分大杉栄氏の論文が悪るかつたのだらう」——『早稲田文学』最初の発禁問題の考察
『大杉栄全集』書簡篇余滴
スメルジャコフの憤怒——小説「奪還」のなかの〈里村欣造〉
関東大震災と文学
一、「空想」から現実へ——上司小剣『東京』四部作の曲折
二、土田杏村『流言』の先駆性
三、一〇月号はどうなったのか——月刊文芸誌などの発刊事情
円本文学全集と自筆「小伝」——経歴を語り出した作家たち
調べた小説の先駆——加藤一夫『村に襲ふ波』
中央線沿線のプロレタリア文学者たち
平林初之輔「五十年後の文学」の驚き
細田源吉のこと
〈シンガポール陥落〉寸前の華僑たち——中地清の小説『みなみ』
田宮虎彦と宮地嘉六
有吉佐和子『恍惚の人』再認識——痴呆症から認知症へ
「知の街」神保町への愛着——記憶の中から
かなしい水の物語——黒井千次「のびどめ用水」と杉本苑子『玉川兄弟』
Ⅱ 社会と文学をめぐって
一九一〇年代の一元論——大杉栄と平沢計七における「政治と文学」
日本の文学者はロシア革命にいかに反応したのか——片上伸を中心に
文学から、そして文学へ——堺利彦と一九一〇年代労働文学
一九二〇年前後の社会文学に見る大逆事件の底流——「事件」から一〇〇年と三・一一以後をめぐって
プロレタリア文学の出発点をめぐって——定説への反措定のための覚書
宮地嘉六——〈故郷〉への幻視
「体験派」の労働文学——宮地嘉六の場合
新井紀一における民衆と文学
〈棄教〉の文学——加藤一夫「見神」への挫折
プロレタリア文学作家への道——小林多喜二の初期
小田切秀雄の中の宮沢賢治——賢治の文学史的位置をめぐって
Ⅲ人と人と
唐沢隆三と中西伊之助——一枚の色紙から
追悼唐沢隆三氏——個人誌『柳』八六三号でついに終刊
慈父のような存在——北川太一氏を語る
高橋書店・高橋理氏を悼む
折々の思い出——小田原の小田切秀雄先生
プロレタリア文学研究の導き手として——祖父江昭二氏の思い出
やはり師であった——堀切利高氏と私
野口存彌さんとのおつきあい
超人・浦西和彦——氏のプロレタリア文学研究に導かれて
あとがき
初出一覧
人名索引