藤原定家が自ら書写、あるいは雇筆にて書写させた『兵範記』(平信範の日記)の一巻、それに定家自筆になる朝儀の次第書や歌書、文書などを収める。
定家も専業の歌人であったわけではなく、まず何といっても朝廷に仕える官人であった。当時は、公家社会で摂関家を頂点とする家格が整えられつつあった時代であるが、父俊成(一一一四―一二〇四)は、和歌の世界では大きな足跡を残すものの、官人としては高い地位を得る前に出家してしまう。そこで定家には、和歌の世界での地位を固めるとともに、それ相応の家格を獲得する、という課題も大きかったと推測される。『明月記』に装束に関する記事が多いことなどは、後に羽林家と称される家格を得ることを目指した定家の努力の一側面といえよう。
本書所収の諸史料がカラー版にて細かな点まで分析可能となることが、官人として、あるいは歌人としてだけではない、定家の全貌を理解するのに大きく寄与することが期待される。