凡例
はじめに………市川 浩
〔第1部 帝国と科学アカデミー〕
第1章 科学アカデミーとは何か──「アカデミーと学協会の時代」の起源とその終焉について………隠岐さや香
1.文化的起源としての「ルネサンス型」アカデミー
2.制度化される自然科学のアカデミー
3.黎明期のロイヤル・ソサエティとパリ王立科学アカデミー
4.18世紀のパリ王立科学アカデミーに見る「アカデミー型」組織の確立
5.プロイセン,ロシア,スウェーデンの科学アカデミーと「後進的先進性」
6.啓蒙思想とパリ王立科学アカデミーの「焦り」
7.アカデミーの衰退と19世紀における科学の近代的な諸制度の展開──例外としてのロシア
第2章 18世紀におけるペテルブルク科学アカデミーの歴史から………ガリーナ・イヴァノヴナ・スマーギナ(市川 浩 訳)
1.“完全なる国家機関”としてのサンクト=ペテルブルク帝室科学アカデミー
2.「科学アカデミー設置に関する布告草案」──科学アカデミーの運営
第3章 19-20世紀初頭における帝室科学アカデミーの賞与金制度………エカチェリーナ・ユリエヴナ・バサルギーナ(市川 浩 訳)
1.科学アカデミーの伝統的な機能としての顕彰
2.寄金による学術賞の創設
3.顕彰事業の実際
4.十月革命による顕彰事業の中断と再開
〔第2部 ヴラジーミル・ヴェルナツキー〕
第1章 ロシアの第4世代の化学者,科学アカデミー会員としてのヴェルナツキー──地球化学から叡智圏へ,ロシアでの評価………梶 雅範
1.ロシアの第4世代の化学者
2.ヴェルナツキーの生涯
3.ヴェルナツキーの科学的・思想的業績
4.ヴェルナツキーのロシアでの評価──「人気」の理由
第2章 ロシア科学アカデミーにおける科学研究組織化に果たしたヴラジーミル・ヴェルナツキーの役割………ゲンナジー・ペトローヴィチ・アクショーノフ(市川 浩 訳)
1.科学のオーガナイザーとしてのヴェルナツキー
2.研究機関と国家のスポンサーシップへの期待
3.ボリシェヴィキ政権下の科学アカデミー“改革”とヴェルナツキー
[補論] 学問分野別か,課題別か?──科学アカデミー会員ヴラジーミル・イヴァーノヴィチ・ヴェルナツキー………ゲンナジー・ペトローヴィチ・アクショーノフ(梶 雅範 訳)
1.研究所をどのように作るべきか?──ヴェルナツキーの理念
2.政権への期待と衝突
〔第3部 スターリンと科学アカデミー〕
第1章 ソヴィエト政体を共同制作した科学………アレクセイ・コジェフニコフ(金山浩司 訳)
1.ソ連の科学者たちの「文化権威」
2.ソ連における科学の重要性
3.初期のソ連における旧専門家と政権
4.熱狂的なアマチュアたちの宇宙開発
5.技術教育を受けた指導者たち
6.ペレストロイカを先取りした科学者
第2章 ソ連を代表する物理学者の交代劇──アブラム・ヨッフェからセルゲイ・ヴァヴィーロフへ………金山浩司
1.ボリシェヴィキ政権とヨッフェ
2.「上からの革命」の衝撃
3.セルゲイ・ヴァヴィーロフの出現
4.国民経済発展への奉仕
5.弁証法的唯物論への忠誠
6.危機の時代をくぐりぬけた物理学
第3章 セルゲイ・ヴァヴィーロフと1930年代ソ連科学アカデミーの組織的転換………コンスタンチン・アレクサンドロヴィッチ・トミーリン(金山浩司 訳)
1.1930年代における科学アカデミーと権力
2.セルゲイ・ヴァヴィーロフと科学アカデミー物理学研究所の組織
3.セルゲイ・ヴァヴィーロフと科学史の制度化
第4章 大テロルはソ連邦科学アカデミーをどう変えたか──常任書記の解任を手がかりに………金山浩司
1.ニコライ・ゴルブノーフの経歴
2.アカデミーの内部抗争
3.解任,そして……
4.進む再編
第5章 アレクサンドル・トプチエフ──科学アカデミーにたいする党の統制強化の諸形態(1949-1954年)………ユーリー・イヴァノヴィチ・クリヴォノーソフ(市川 浩 訳)
1.トプチエフの登場──科学者にして官僚
2.党による科学アカデミー統制の強化とその帰趨
〔第4部 ルィセンコ事件再考〕
第1章 文化革命(1929-1932年)とプレゼント=ルィセンコ間“同盟”の起源………エドゥアルド・イズライレヴィッチ・コルチンスキー(市川 浩 訳)
1.現代の科学史文献,一般向け文献におけるルィセンコ主義
2.生物学の“弁証法化”の第一歩
3.「文化革命」と生物学
4.ルィセンコとプレゼントの連携の始まり
第2章 遺伝学研究所はいかにしてルィセンコに乗っ取られたか?………藤岡 毅
1.ソ連邦科学アカデミー・遺伝学研究所の発足
2.遺伝学者にたいする不信の始まりと遺伝学研究所の壮大な研究計画
3.「大粛清」時代におけるルィセンコの台頭
4.国家指導部の遺伝学研究所への介入と遺伝学者の抵抗
5.小括
第3章 トロフィム・ルィセンコのふたつの“アカデミー”──科学アカデミーか,農業科学アカデミーか?………齋藤宏文
1.1930年代終盤におけるソ連遺伝学界のふたつの学派,ふたつのアカデミー
2.ルィセンコ派による遺伝学研究所への介入の実態
3.戦時期のルィセンコと農業科学
第4章 1948年全連邦農業科学アカデミー8月総会におけるルィセンコ派の勝利──歴史解釈の問題………キリル・オレゴヴィチ・ロシヤーノフ(齋藤宏文 訳)
1.ルィセンコ生物学をめぐる歴史学研究と科学知識への道具主義的アプローチ
2.科学,および後期スターリン主義の科学政策における“理論”と“実践”
第5章 ルィセンコ覇権に抗して──ソ連邦科学アカデミー・シベリア支部細胞学=遺伝学研究所の設立をめぐって………市川 浩
1.「放射線の生体におよぼす影響」研究
2.“ニコライ・ドゥビーニンの研究所”
3.ルィセンコ派の妨害と“ドゥビーニンの研究所”
〔第5部 戦争・冷戦と科学アカデミー〕
第1章 科学アカデミーの戦時疎開──格差と確執………市川 浩
1.大学の受難─モスクワ国立大学,とくにその物理学部を中心に
2.モスクワからカザンに疎開した研究機関
3.モスクワからスヴェルドロフスクへ疎開した研究機関
4.レニングラードからカザンその他に疎開した研究機関
5.モスクワから中央アジアに疎開した研究機関
第2章 熱核兵器開発におけるソ連邦科学アカデミーの役割………ヴラジーミル・パーヴロヴィチ・ヴィズギン(市川 浩 訳)
1.科学アカデミーにおける出発点(1945-1948年)
2.物理学研究所の動き(1948-1949年)
3.水爆に関する政府決定と「科学アカデミーの計算機」
4.「スロイカ」実験への道──“科学アカデミーの切り取り”
5.2段式熱核兵器RDS-37──科学アカデミーの側で
第3章 ソ連版“平和のための原子”の科学アカデミーにおける出発………ヴラジーミル・パーヴロヴィチ・ヴィズギン(市川 浩 訳)
1.“平和のための原子”と科学者,科学アカデミー
2.カピッツァ,クルチャートフ,ヴァヴィーロフ
3.“平和のための原子”,国家計画となる
〔第6部 戦後ソ連社会主義と科学アカデミー〕
第1章 ソヴィエト科学の“脱スターリン化”と科学アカデミー──1953-1956年のソ連邦科学アカデミー幹部会議事録・速記録から………市川 浩
1.哲学者の“封じ込め”
2.生物学・遺伝学“正常化”に向けて
3.科学アカデミーの機構改革について
4.“脱スターリン化”,光と影
第2章 ソ連邦科学アカデミー・工学部(1935-1963年)………ボリス・イリイチ・イヴァノーフ(市川 浩 訳)
1.ソ連邦科学アカデミー・工学部の成立と展開
2.ソ連邦科学アカデミー・工学部の黄昏
3.ソ連邦科学アカデミー・工学部の廃止ののち
第3章 パラレル・ワールド──戦後ソヴィエト数学の公式の構造と非公式のメカニズム………スラヴァ・ゲローヴィッチ(市川 浩 訳)
1.旅行の制約──国際交流を制限する
2.概念的制約──厳格なカリキュラムを押しつける
3.政治的制約──“望ましからざる人物”を排除する
4.行政的制約──諸機関をコントロールする
5.物理的制約──フェンスを設ける
6.パラレル・ソーシャル・インフラストラクチュア
7.数学学校
8.“ユダヤ人民の大学”
9.研究と発表の代替的な場
10.オープン・セミナー
11.パラレル・ソーシャル・インフラストラクチュアの果実
あとがき
事項索引
人名索引
執筆者紹介