序 昭和一〇年代文学を考え直すために―研究対象・問題領域・方法論
一 研究対象としての昭和一〇年代
二 問題領域としての昭和一〇年代文学
三 昭和一〇年代文学における抵抗
四 方法論としての言説分析―文学場
第Ⅰ部 昭和一〇年代をみわたす
第1章 現在進行形の文学場の実況放送―文芸時評という装置の消長
一 再発見される文芸時評
二 文芸時評の制度疲労/打開策
三 維持―継続されていく文芸時評
四 太平洋戦争開戦後の文芸時評
第2章 純文学作家にとっての新聞小説―通俗性・芸術性・社会性
一 純文学作家による新聞小説の再発見
二 新聞読者(層)の変容と純文学作家の思惑
三 新聞小説における社会性
四 戦時下における新聞の役割と新聞小説の隘路
第3章 繰り返される〈ヒューマニズム〉ブーム―転位する意味内容
一 文学史上の〈ヒューマニズム〉
二 昭和一一年の〈ヒューマニズム〉ブームと言説構造
三 日中戦争開戦後の〈ヒューマニズム〉と戦争文学
四 太平洋戦争開戦後の〈ヒューマニズム〉と新しい人間
第4章 戦争の時代における詩的精神のゆくえ―立原道造「鮎の歌」を手がかりとして
一 抒情詩人・立原道造の詩的精神
二 詩的精神をめぐる議論
三 立原道造「鮎の歌」の同時代受容
四 軍歌の時代の詩的精神
第5章 日中戦争期に魯迅はどう読まれたか―追悼特集・全集刊行・小田嶽夫
一 日本での魯迅紹介
二 魯迅の死と追悼言説
三 多様な魯迅評価
四 小田嶽夫による魯迅紹介
第6章 「国民文学」とは何かを問うこと―文学場のインターフェイス
一 曖昧な国民文学(論)
二 昭和一二年の国民文学論ブーム
三 昭和一〇年代半ばの国民文学論ブーム
四 太平洋戦争開戦後の国民文学論
第Ⅱ部 昭和一〇年代前半の諸局面
第7章 横光利一「純粋小説論」の読み方―社会性という論点
一 「純粋小説論」へのアプローチ
二 「純粋小説論」の波紋
三 拡散される「純粋小説論」理解
四 「純粋小説論」が提示する社会性
五 書物と化していく「純粋小説」
第8章 文化工作―建設戦としての文学―上田廣「黄塵」
一 戦争文学への期待と上田廣
二 上田廣が戦地で書いた小説「鮑慶郷」
三 上田廣が戦地で書いた報告「黄塵」
四 日中戦争開戦後の文化工作―建設戦
第9章 "道"を目指す武蔵/兵士/国民―吉川英治「宮本武蔵」
一 道精神を体現する宮本武蔵
二 意味づけられていく「宮本武蔵」
三 「宮本武蔵」の同時代受容分析
第10章 転向作家が書く満洲移民―徳永直「先遣隊」
一 転向作家・徳永直とモチーフとしての満洲
二 満洲文学への期待
三 「先遣隊」の同時代受容分析
四 文化工作としての満洲移民―「先遣隊」
第11章 日中戦争期における中国現代文学の翻訳―林語堂Moment in Peking
一 日中戦争期における中国への関心
二 林語堂の重要性
三 三種類のMoment in Peking翻訳
四 中国理解のための概説書としてのMoment in Peking
第12章 可視化された文化統制―文芸雑誌『新風』をめぐる軌跡/言説
一 出版統制と文芸雑誌『新風』
二 『新風』創刊まで
三 『新風』創刊即廃刊の衝撃
四 文化統制のバロメーターとしての『新風』廃刊
第Ⅲ部 昭和一〇年代後半の諸局面
第13章 戦時下に文学の「非力」を語ること―高見順「文学非力説」
一 高見順の蘭印体験と「文学非力説」
二 「文学非力説」論議の展開と同時代受容
三 多重化される言表/受容の回路
四 「文学非力説」論議の余波
第14章 太平洋戦争の感動を書く新しい私小説―太宰治「新郎」・丹羽文雄「海戦」
一 太宰治「新郎」への批判
二 太平洋戦争開戦後の新しい私小説
三 新しい私小説の隆盛
四 丹羽文雄「海戦」への評価
第15章 太平洋戦争開戦を振り返る新聞小説―岩田豊雄「海軍」
一 モチーフとしての九軍神
二 「海軍」の語り手と新聞記事との連携
三 「海軍」の同時代受容分析
第16章 帰還した南方徴用作家はどう読まれたか―尾崎士郎「朝暮兵」・火野葦平「敵将軍」
一 南方徴用作家(研究)の重要性
二 帰還作家の発言・作品とその受容
三 尾崎士郎「朝暮兵」・火野葦平「敵将軍」の同時代受容分析
四 文学者による文化工作
第17章 移動演劇の作劇術―岸田國士「かへらじと」
一 移動演劇(作品)への評価
二 「かへらじと」の同時代受容分析
三 「かへらじと」における立派な死
四 空所を活かした作劇術
第18章 文学者はアッツ島玉砕をどう言語化したか―韻文・散文・太宰治「散華」
一 モチーフとしてのアッツ島玉砕
二 韻文としてのアッツ島玉砕表象
三 散文(ノンフィクション)としてのアッツ島玉砕表象
四 散文(フィクション)としてのアッツ島玉砕表象
五 アッツ島玉砕表象としての太宰治「散華」
結 課題と展望
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