唯識でよむ般若心経
新装版
空の実践
著:横山 紘一
内容紹介
「唯識」…それは、「この宇宙のすべては、自分の心が生み出したものである」と説く、仏教の独特な思想。その研究の第一人者として知られる著者が、「心」という視点で「空」の教えを説き明かす、今までになかった般若心経解説書! 苦しいと思ったら、「苦しみ」そのものに成りきる! 日常の中での唯識の実践法(ヨーガ)も詳述。奈良・興福寺の「仏教文化講座」での講義の書籍化。
目次
はじめに
般若心経 全文
第一講 般若心経と「空の実践」
「空の実践」とは/ヨーガによる生き方/言葉の向こう側へ/「いま」に成りきって生きる/自己とは何か/二分法的考えを離れる/「私」はなく「はたらき」だけがある
第二講 空と観自在菩薩
「なに」「いかに」と問いかける生き方/菩薩は「智慧と慈悲」の体現者/菩薩の種類/「観自在」という語について/ 「観」とは何か/「自在」とは何か
第三講 般若波羅蜜多と五蘊
六波羅蜜多と福徳・智徳/六波羅蜜多とは何か/般若の智慧によって照らす/五蘊とは何か/受・想・行について
第四講 非有非無の中道
十二縁起とは/「愛」と「無明」/空と中道/中道を歩む/「中」と三性/三性対望中道と一法中道/「根源的なもの」への目覚め
第五講 色即是空 空即是色
舎利子と「縁起偈」/色と空/「空」を分析する/二無我と百法/不一不異
第六講 有為と無為
唯識思想を世界に/「作られたもの」と「作られないもの」/有為とは生死=苦しみ/法とは何か/無為とは涅槃=覚り/阿頼耶識縁起と菩薩の精神/前五識を転じて成所作智を得る
第七講 不生不滅・不垢不浄・不増不減
「名詞」をやめてみる/諸法の分析/夢の如し/不相応行とは/無為=涅槃=真如/虚空とは/空相について/否定と肯定/不二の世界
第八講 五蘊・十二処・十八界
存在の分類法/科学の観察と仏教の観察/無明を滅して「明」を得る/あるがままにあるもの/我執はなぜ起こる/「見」と「観」/阿頼耶識からの顕現
第九講 正聞熏習と無分別智
言葉と事物/縁起を見るものは法を見る/有為と言葉/言葉が生じる機構/正聞熏習の力/無分別智の力/念の力
第十講 有無を超越した思考
二分法的思考の誤謬/有無の超越/人間の依りどころ/唯識的思考による「有と無」の超越
第十一講 執着を離れるための「無」
唯識と菩薩/執着とは何か/日常のなかで思索を練る/知量受用の思想/科学者の怠慢/物心一如の理/「無」の二つの意味/増益と損減の二つを離れた中道
第十二講 三性と三無性
富士山は存在しない/聞熏習の重要性/量子論と唯識/扶根と正根/三性と三無性/物、心、そして物心一如の因果/湧き起こる「感謝」/真理そのものの身体
第十三講 唯識思想の自然観・宇宙観
「常識」の否定/三性という「場」/身でも心でもない心/「色」としての自然を考察する/仏教の宇宙生成論/新しい自然観・宇宙観へ
第十四講 苦・集・滅・道の四諦
表と裏/四諦とは何か/阿頼耶識の種子/苦諦について/集諦について/道諦について/滅諦について
第十五講 無所得と唯識性
無所得と有所得/五位の修行の階梯/所取と能取がなくなる無所得の世界/ 『唯識観作法』に説かれる「無所得」
第十六講 「心にけい礙なし」とは
無所得=空=真如/「物」への疑問/けい礙とは何か/「自分」という存在の分析/所知障と無明/さまざまな煩悩
第十七講 恐怖について
『ダンマパダ』の偈/「 法」の意味するところ/意志の力/「死の恐怖」の解決法/死と中道
第十八講 認識的誤り(顛倒)と涅槃
顛倒について/常・楽・我・浄の「四倒」/増益・損減の倒/涅槃について
第十九講 中道の重要性
「涅槃」の意味の再確認/原始仏教が説く涅槃/三界を出離して涅槃に入る/中道によって涅槃に至る/信仰と智慧
第二十講 釈尊の八相成道と無上正覚
般若波羅蜜多は仏の母/釈尊の八相成道とは/法身と仏道/三世の諸仏とは/般若の重要性/阿耨多羅三藐三菩提(無上正覚)とは
第二十一講 真如への道
絶対的なものとは/『瑜伽師地論』について/利他即自利/思惟の大切さ/正法を考える/真如を証するということ
第二十二講 「呪」(真言)とは何か
「呪」とは真実の言葉/一字に千理を含む/陀羅尼について
最終講 阿頼耶識縁起の世界
戒体と無表業/阿頼耶識縁起の復習/遍計所執の世界から依他起の世界へ戻る/「事」と「理」/「空の実践」のまとめ/円成実性へ至る道/すべては阿頼耶識縁起