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わが国労働法学の史的展開

著:石井 保雄

紙版

内容紹介

◆末弘厳太郎、孫田秀春、菊池勇夫、津曲蔵之丞、後藤清、吾妻光俊……主たる学者の主張や背景事情を考察、その学問的意義を明らかにする◆
大正デモクラシー期の労働法学の草創期から、十五年戦争、そして終戦に至るまで、重要な労働法学者に焦点をあて、それぞれの理論的な営為を精緻に考察。末弘厳太郎、孫田秀春、菊池勇夫、津曲蔵之丞、後藤清、吾妻光俊……主たる学者の主張や背景事情を考察し、日本労働法学が辿った過程を追跡し、その学問的意義を明らかにする。

目次

『わが国労働法学の史的展開』 石井保雄(獨協大学法学部教授) 著

【目  次】
はしがき

◆序 章◆ 本書の課題と時期区分
 1 本書の課題―わが国労働法学の黎明
 2 検討の時期区分について

◆第1章◆ わが国労働法学の生誕―大正デモクラシー期の末弘厳太郎と孫田秀春
◆第1節 末弘の米欧における在外研究と孫田秀春との邂逅
 1 末弘の米欧留学の経緯
 2 スイス・ベルンにおける末弘と孫田との邂逅
◆第2節 忘れられた労働法学徒―ワイマール・ドイツにおける日本人研究者
◆第3節 末弘『労働法研究』の刊行とその意義―労働組合法の立法論をめぐって
 1 帰国後の労働法関連論考の公刊と『労働法研究』への収斂
 2 末弘の労働組合法に関する立法批判
 3 末弘の組合法案への接近態度―山中篤太郎『日本労働組合法案研究』(1926)と永井亨『労働組合法論』(同年)との比較
◆第4節 孫田の東京商大における「労働法」開講と労働法学の体系実現の志向
 1 孫田の東京商大における「労働法」開講
 2 労働法学の体系実現の志向―末弘との方法論的対立
◆第5節 末弘による労働問題に関する社会評論家としての言動―大正デモクラシーの残照のなかで
 1 末弘に係わる昭和年代初期の社会動向
 2 末弘の労働問題に関する社会評論家としての言動の変化

◆第2章◆ 昭和年代初期「非常時」における労働法学―1931年9月~1937年7月
◆第1節 新たな労働法学徒の出現―菊池勇夫と津曲蔵之丞そして後藤清
 1 菊池勇夫の九州帝大赴任までの「旅路」
 2 後藤清の洋行経験―労働法学徒としての出発
 3 津曲蔵之丞の青春遍歴―京城帝国大学助教授着任まで
◆第2節 内務省社会局の労働組合法案をめぐる講演会と孫田「労働法」講義への圧力
◆第3節 九州帝大赴任当初の菊池勇夫における四つの法的課題
 1 社会法とは何か,その法学体系の中の地位の把握への試行―第1の課題
 2 『日本労働立法の発展』と『労働法の主要問題』における,その他の課題への応答
◆第4節 津曲蔵之丞『労働法原理』(改造社)の刊行―1932年
 1 日本国外に設けられた第6番目の帝国大学としての京城帝国大学
 2 津曲の『労働法原理』の刊行
 3 津曲の従属労働理解に関する評価
 4 津曲の欧州への渡航
◆第5節 後藤清における初期の研究課題―労働協約論と解約告知論
 1 ドイツを中心とした労働協約理論の研究―『労働協約理論史』への結実
 2 『解雇・退職の法律学的研究』―雇用契約の終了をめぐって
 3 昭和10年前後における社会立法の動向と後藤の問題関心の所在
◆第6節 末弘と孫田のナチス・ドイツ体験とこれに対する応接
 1 末弘の学部長職の辞職と半年間の欧州視察旅行
 2 孫田の在ベルリン「日本学会」代表主事赴任と「白票事件」―東京商大退官の経緯
 3 帰国後の孫田の親ナチス・ドイツの言動

◆第3章◆ 準戦時から国家総動員体制への展開のなかでの社会・労働法学―1937年7月~1941年12月
◆第1節 末弘厳太郎と孫田秀春の国家総動員法体制下における労働法学からの離脱
 1 末弘における戦争遂行体制の推進への姿勢転換と労働法学からの離脱
 2 孫田の東京商大退官以後の言動―研究活動の終息
◆第2節 菊池勇夫の『社会保険法と社会事業法』に表(現)われた社会立法理解
 1 社会事業法と社会保険法への関心と戦後の論文集刊行
 2 社会事業法の形成への寄与
◆第3節 津曲蔵之丞の労働法から経済法への関心転移
 1 津曲の京城帝大から東北帝大への転任
 2 津曲の『労働法原理』から『日本統制経済法』への転進の途次
◆第4節 菊池勇夫における経済法理解―経済統制法から統制経済法への転回
 1 『経済法の理論と対象』への収録を予定した論稿群
 2 菊池の「経済法」理解の変遷
◆第5節 後藤清の転換期への法理対応
 1 後藤におけるドイツ労働法学研究の転回―『労働法と時代精神』と『転換期の法思想』
 2 後藤の「転換期」における労働法学―「厚生法」の提唱
 3 後藤における統制経済法と「厚生法」理解の進展
◆第6節 菊池勇夫における社会法理解の変遷―「非常時」「高度国防国家」体制そして「臨戦体制」への展開のなかで
 1 菊池における「社会法」理解の提言―『労働法の主要問題』序言
 2 戦時期における菊池の「社会法」理解の変遷
◆第7節 吾妻光俊と『ナチス民法学の精神』
 1 吾妻のナチス時代のドイツ民法研究
 2 吾妻光俊と『ナチス民法学の精神』
 3 吾妻のナチス民法学に対する評価態度と我妻栄による批判

◆第4章◆ 太平洋戦争下の社会・労働法学―総力戦遂行の実現をめざして(1941年12月~1945年8月)
◆第1節 津曲における統制経済法の体系提示―『日本統制経済法』の刊行
 1 『日本統制経済法』の構成と内容
 2 経営共同体としての企業把握と「公益優先」
 3 『日本統制経済法』への評価―統制経済法について,法分野としての独自性を肯定すべきか否か
 4 石崎政一郎の統制経済法への眼差し
◆第2節 後藤における戦時労働力総動員体制の積極的推進の唱導
 1 「厚生法」から労務統制法へ―『厚生法』の改訂と『労務統制法』
 2 総力戦への最終的提言―『労務統制法』改訂増補版の刊行
 3 浅井清信の国民徴用に関する発言―「労務統制立法の課題―とくに雇用契約と国民徴用とを中心として」
◆第3節 吾妻光俊における「経済統制法の法理論」―『統制経済の法理論』(河出書房・1944)の検討 
 1 統制経済法体制の進展
 2 統制経済法体制のもとでのわが国私法学
 3 吾妻光俊『統制経済の法理論』を読む
◆第4節 社会保障法に関する理解の展開―菊池勇夫と後藤清の議論
 1 菊池勇夫の厚生事業法と社会保険法理解
 2 後藤の「厚生法」から厚生事業法についての言及と理解
◆第5節 決戦体制下での「日本的勤労観」と勤労根本法
 1 「勤労新体制確立要綱」に対する反応―浅井清信,孫田秀春および菊池勇夫の場合
 2 後藤『勤労体制の法的構造』の概要
 3 浅井清信「皇国勤労観と国民協力制度」を読む―戦争末期時の「国民勤労協力」のあり方
 4 津曲『勤労法における指導理念』の刊行と提唱
 5 昭和18年政府による勤労根本法制定の企図と挫折
◆第6節 昭和19年夏以降の吾妻光俊―『統制経済の法理論』以降
◆補 節 末弘の労働法学から法社会学への関心転移と「日本法理」樹立の熱望

◆補 章◆ わが国労働法学の体系化の試行
◆第1節 孫田秀春における労働法の体系構築
 1 労働法の体系化の試み―『労働法総論』(1924)の刊行
 2 『労働法論 各論上』(1929)の刊行と同書改訂合本化
 3 孫田における早期の労働法学体系実現の背景と経緯
◆第2節 末弘厳太郎における労働法学の体系的理解
 1 大正デモクラシー体制のもとでの労働法体系理解
 2 昭和10年代初頭,戦時体制の影響が少ない時期の体系理解
 3 末弘の戦時体制下での体系理解
 4 孫田のそれと比べた末弘の労働法体系の特徴ともう一つの講義録
◆第3節 菊池勇夫における平時労働法と戦時労働法
 1 菊池勇夫の平時の労働法制
 2 菊池勇夫の戦時の労働法制
◆第4節 津曲蔵之丞の決戦態勢のもとでの勤労法体系の素描
◆第5節 小 括

◆第5章◆ 労働法学の再出発―敗戦とそれぞれの対応(1946年~1951年)
◆第1節 戦後・末弘厳太郎における陽と陰―労働三法制定への関与と労働法の啓蒙・普及活動そして教職追放
 1 労働三法制定への関与と労働法の啓蒙・普及活動
 2 末弘に対する教職追放とその評価
 3 戦後・末弘労働法学における未完の可能性
 4 末弘の闘病と逝去
〈戦時期末期における末弘の言動についての補遺〉
◆第2節 労働法学徒における敗戦と戦後のあいだ
 1 孫田秀春の公職および教職追放
 2 菊池勇夫―戦後に続く「社会法」把握への志向継続とその意味
 3 敗戦直後の津曲蔵之丞の言動と石崎政一郎の対応
 4 敗戦直後における後藤清の言動と「加山宗二」による労働法学者批判
◆第3節 浅井清信の「戦後労働法学」の前衛への転生
◆第4節 吾妻光俊の場合―労働法学の再構築
 1 戦時中の日本法理の方法的反省
 2 「法社会史的研究方法」の提示―アメリカ労働法学研究を通じて

◆終 章◆ 結 語

引用参考文献一覧
事項索引/人名索引

ISBN:9784797268324
出版社:信山社
判型:A5変
ページ数:660ページ
定価:13400円(本体)
発行年月日:2018年11月
発売日:2018年11月29日
国際分類コード【Thema(シーマ)】 1:JBF