中世哲学の手引きI 主要登場人物 i
中世哲学の手引きII 主要登場人物の出生地 xv
凡例 xvi
序 論 社会学者とローマ法王 9
第一章 トマス・アクィナスを忘れる あるいはアルベルトゥス・パラダイム 41
1 「一一月一五日の呼びかけ」─予告された回勅の記録 43
2 論敵から見たアルベルトゥス主義─ジェルソンの診断 55
検閲のリレー─ジェルソン的批判の意味 66
最初の区間─アルベルトゥスと一二七七年の断罪 76
3 哲学と神学 86
なわばりの問題 89
アルベルトゥスと「アヴェロエス主義」─アナーニ論争 93
第二章 アルベルトゥス・マグヌスの哲学構想 101
1 自然学の区分 107
アルベルトゥスの卓見その(一)─『霊魂論』を生物学に編入する 115
アルベルトゥスの卓見その(二)─知性の研究を自然学に挿入する 121
2 保守主義と進歩主義のはざまで 125
アルベルトゥスと一二七〇年の断罪 130
アルベルトゥスとシゲルスと一二七二年の学則 138
第三章 哲学者・占星術師・降霊術師 147
1 アルベルトゥス・マグヌスとヘルメス文書─玉虫色の関係史 149
2 アルベルトゥス・マグヌスと占星術─摂理と運命 153
アフロディシアスのアレクサンドロス─アリストテレス主義者の運命論 154
アレクサンドロスのストア派批判 159
アルベルトゥスの「運命」概念─ヘルメス主義と占星術 164
3 アルベルトゥスの占星術資料在庫 167
作者が作中人物を探す─「ハリ」の失踪 169
「現実の」学知と「現実の」理性─或る事例研究 183
4 アルベルトゥスの運命論は一二七七年に断罪されたか 190
『一五の問題について』第三問 194
或る戦略的テクスト─『〈自然学講義〉注解』第二巻第二章一九節 197
再び『一五の問題について』第三問 204
5 あいまい戦略─アルベルトゥス・マグヌスと錬金術 207
アルベルトゥスの錬金術資料在庫 207
『一五の問題について』第一三問─ストア派と錬金術師 211
第四章 教授たちの哲学 217
1 「哲学入門書」の哲学 221
「最高善」の哲学 229
ジルソンのシナリオ 232
2 一二七〇~一二七七年のパリ危機 237
検閲者の創作性 238
一二七〇~一二七七年の危機と「ラテン・アヴェロエス主義」 247
3 「パリ危機」を総括する 267
哲学と教会当局─トマス・アクィナス訴追案件 272
第五章 信仰と理性 アヴェロエス対トマス・アクィナス 285
1 公認歴史学のふたつの神話 287
スコラ学の「黄金時代」 289
二重真理 294
2 トマスとアラブ思想 298
トマス・アクィナスによる信仰と理性 305
トマスとアヴェロエス主義 309
3 イブン・ルシュドと一二七二年の学則 314
第六章 哲学と神学 アルベルトゥス・マグヌスによれば 323
1 『命題集注解』と『倫理学について』の哲学と神学 327
2 神学とは何か 333
3 神学は学知なのか神秘体験なのか 339
『驚異神学大全』の学的構造 344
神性学と神学 349
4 流れの形而上学 352
「流れ」のラテン的知見─ボエティウスのけもの道 353
「流れ」のアラブ的知見─いくつかの道しるべ 357
隠れプロティノス主義の宇宙モデル 359
第七章 知的幸福を経て至福の生へ 367
1 アルベルトゥス主義のマニフェスト─『知性と叡智的なものについて』 370
典拠網と認識系 371
哲学・予言・神秘体験 376
アルベルトゥスの仲間たち─アヴィセンナ・ヘルメス・ディオニュシオス 389
2 知性の貴族主義─アルベルトゥス主義の不人気な果実 394
3 マイスター・エックハルトと至福の生 406
離脱と観想 408
高貴なひと 413
4 哲学者と世捨てびと 424
結 論 ビリーグラハム・チルドレンとメッカコーラ・チルドレン 435
訳者あとがき 445
原注 579
訳注 602
人名索引 612
どこで「考えること」を止めて「信ずること」を始めるか。これは特定の信仰を持っていなくても、誰もが抱えている問題である。たとえば訳者は無宗教であるが、元旦には初詣にでかけるし、近親者の霊にはきちんと手を合わせる。脳科学の成果に魅了されながらも、脳科学の前提からすればありえないこと、たとえば、意志の自由を信じている。しかし、「考えること」と「信ずること」の仕分けがそれでいいのかどうかを問い始めると自分が深淵に直面していると感ずる。少なくとも、今の日本社会ではそれは自己責任で遂行されなければならない孤独な課題である。
13世紀西欧はまったく逆だった。そこには理性と信仰をいかにすり合わせるかを納得いくまで探求させる制度的保証があった。大学がそうである。とくに重要なこととして、聖書の啓示を探求の出発点にしなければならない神学部の下に、それを出発点にしなくてもよい人文学部(今日の教養学部)が置かれた。
本書『理性と信仰』が力を込めているのは、こうした知的世界に出入りしていたさまざまな知識人の学説を考古学者の手つきで拾い集め、歳月の汚れを洗い流すことである。
その作業を見守っているうちに、私たちは著者アラン・ド・リベラが大変重要なことをいくつか言いたいのだと気づく。たとえばリベラルアーツ(一般教養)が宗教自体のリベラル化に役立つという指摘。イスラム世界はどういうわけか中世西欧が実現した大学というアイデア(とくにその二層構造)をついに実現しえなかった。
しかし最大の眼目は、洗い直された資料群から、ローマカトリック教会の現行の教義体系とは違うもうひとつのパラダイムが浮かび上がるということであろう。そのもうひとつの方が、異なる宗教間の、あるいは世俗と宗教との相互理解に役立つのではないか。そう信じさせるだけの説得力が本書にはある。
勇気づけられる一冊である。