序論
第1節20歳代のミルの精神的危機とその克服
第2節ミルの自己実現と共通善
第3節デューイの成長論と経験の連続過程
第4節西田幾多郎の至誠と人格
第5節河合栄治郎の道徳論と人格の成長
第6節道徳教育の視点としての自己実現
第7節人間性の衝動とその方向転換
第8節人間の成長と経験の連続過程
第9節自己実現と共通善
第10節知・徳・体の一体化はいかにして可能か
第11節生命倫理学の講義と学生の授業評価
第12節「道徳教育の研究」の授業改善と評価の方法
第1部自己実現の歴史的展開と日本への影響
第1章J.S.ミルの自由論と個性の発展
第1節20代のミルの精神的危機とその克服
第2節ミルの自由論と行為の主体的選択
第3節個性の発展と哲学的必然性
第4節シジウィックのミル批判と「実践理性の二元性」
第2章T・H・グリーンの自己実現と共通善
第1節グリーンの生い立ちと少年時代
第2節意志、自己改革、神的自我の実現
第3節社会の一員としての自己実現と共通善
第4節自己実現の原理と献身
第3章デューイの成長論と経験主義
第1節デユーイの少年時代と20代の挫折
第2節初期デユーイのグリーン研究と自己実現の修正
第3節個性の実現と人格共同体の実現
第4節衝動の調停と新しい経験
第5節デユーイの成長論と現在の活動それ自体
第4章西田幾多郎の善と人格
第1節若き西田のグリーン研究と自己実現
第2節至誠と人類の善
第3節個人の善と社会の善
第4節『善の研究』と西田の宗教論
第5節グリーンの宗教論と西田の宗教論
むすび
第5章河合栄治郎の道徳論と人格の成長
第1節若き河合栄治郎の思想形成
第2節河合の農商務省辞任から東京帝国大学経済学部助教授へ
第3節『学生に与う』の時代背景と河合の教育論
第4節『学生に与う』の道徳哲学とその影響
第5節河合の理想主義と人格の成長
第6節河合の宗教論と修養
第2部現代道徳教育の問題と自己実現の再評価
第1章道徳教育の視点としての自己実現
第1節生きる力としての自己実現
第2節劣等感とプライドの感情
第3節自己実現の力としての意志
第4節教師の生き方と道徳教育の研究
第5節自己実現の要求と人間性
第2章人間性の衝動とその方向転換
第1節人間性の衝動と行為
第2節自己実現の衝動と生きる力
第3節衝動の方向転換はいかにして可能か
第4節管理職や教育委員会の姿勢と責任感
第5節いじめられている生徒諸君へ
第3章価値選択の自由と責任
第1節中学生にとって価値選択とは何か
第2節高等学校時代の価値選択と将来の目的
第3節天野医師の生き方から学ぶものは何か
第4節大学教授と学生とのコミュニケーション
第5節大学院生の自殺と先輩の早世は何を考えさせるか
第4章教員の精神的疲労と仕事の仕方
第1節教員の精神的疲労と離職の現状
第2節精神的疲労から立ち直るためにはどうしたらよいか
第3節精神的疲労から回復した筆者の経験
第4節管理職の課題と講義・研究との両立
第5節教員の健康法と生涯学習
第5章自己実現の善と共通善
第1節自己実現の善とは何か
第2節児童生徒の公共的関心と「まちづくり」
第3節高校生による校則改正と主権者意識
第4節民主主義を担う高校生とこれからの課題
第5節平和のための国際理解と共通善
第6章「知・徳・体を一体で育む」道徳教育はいかにして可能か
第1節知・徳・体の一体化とは何か
第2節知・徳・体の基礎は何か
第3節知・徳・体の一体化を妨げるものは何か
第4節自己実現の衝動とその転換
第5節身心の統一と呼吸の調整
第7章生命倫理学の講義と学生の授業評価
第1節生命倫理学の講義とその概要
第2節インフォームド・コンセントとは何か
第3節脳死判定、家族の承諾、臓器移植
第4節看護ケアとケアの倫理の本質
第5節生命倫理の四原則とその課題
第6節生命倫理学の講義についての学生の授業評価
第8章「道徳教育の研究」の授業改善と評価の方法
第1節なぜ「道徳教育の研究」の授業改善が必要か
第2節講義方法の再検討と対話法の導入
第3節五分間ペーパーとその問題点
第4節発問の工夫と五分間ペーパーの改善
第5節評価の方法――学生をどう評価するか
第6節大学における授業方法の再検討
あとがき