第一部 ハンセン病文学の起源と意味
「癩文学」の起源と意味
癩文芸現状
療養所文芸の暗さに就いて
癩文学私論
山桜誌に寄せて
癩文学といふこと
癩文学に於ける私小説性
散文について
或る往復書翰
続往復書翰
プロレタリア文学と癩文学
大きな矛盾
オームの国からの解放
精神の喪失
療養所における文学の不振について
らい文学滅亡論
現実と文学
新しい人間像の形成
文学の功罪
ライ文学は衰退したかどうかに就いて
らい文学を考える
回復過程の文学活動
第二部 偏見・差別に抗して
新しい時代の明暗(1)~(5)
二十世紀後半の救癩事業に望む
二十世紀後半の在り方
悲しいこと
ペンに寄せて
癩を治そうとする努力が尚一層払われなければ駄目だ
ライの意識革命と予防法闘争(1)~(15)
レプラ・コンプレックス
ハンゼン氏病の盲点 宮崎恵楓園長、光田愛生園長証言の批判
ライ予防法の改正はは何故必要か
癩予防法改正運動についてのわれらの反省
「癩予防法改正運動についてのわれらの反省」の作者に一言!
評論「癩予防法改正運動についてのわれらの反省」について
強制収容・懲戒検束の廃止なくして、新しき療養所なし
「ライ予防法案」は何故悪いか
人間になる日
癩予防法改正運動について
あなた達に言いたい
ライの意識革命について
劣等感の克服
特権意識と劣等意識
本当の偏見はどこにあるのだろう
黒髪小学校問題(1)~(2)
未感染児童の「未感染」なる用語に対してわたしは抗議する
むごさについて
ライ療養所の論理と倫理(1)~(2)
ライ療養所の論理と倫理
(一)光田健輔論
(二)光田氏的理念の崩壊
(三)倫理の成立とその限界
(四)倫理の形成
故光田前園長と療養人の像
「惰民論」と転換期の療養所(1)~(8)
「惰民」には誰がした
惰民論の観念性
森論文の波紋について
ひとつの段階のしめくくり
社会復帰の障害について
戦後療養所論
〈転換期〉という意味
世界医療センター
藤本事件(1)~(6)
藤本事件の真実追究を阻むもの
藤本氏の無実の罪であることを信じている私は思う
偏見がつくりあげた藤本事件
藤本事件について
藤本松夫救援運動の発展のために
偏見・予断・処刑 藤本松夫氏の死刑に抗議する
コリアン患者の足跡(1)~(2)
コリアン患者の足跡
在日外国人ハ氏病患者同盟の活動
沖縄から(1)~(3)
療友に訴う
今後の癩予防法に要望して
読谷高校の本園退園児進学拒否問題について
闘いのうちそと(1)~(5)
ハ氏病盲人の訴え
朝日訴訟をめぐって
婦人よ、明日のために
『らいからの解放』出版にあたって
共闘について
ヒューマニズムの虚偽(1)~(4)
ヒューマニズムの虚偽テレビドラマ 「この道遠く」について
「ある結婚」放映前夜
人間列島
二つの鎖
知識人のらい参加(1)~(3)
癩園に於ける二つの性問題論文の対照
労働の回復―永丘智郎
臨床における価値の問題―神谷美恵子
らいにおける福祉の意味―杉村春三
病醜のダミアンをめぐって(1)~(2)
「病醜のダミアン」像
ダミアンの沈黙
遠ざかる神の国(1)~(2)
遠ざかる《神の国》
らいと天皇制
国はおかしたあやまちを謝罪せよ(1)~(3)
いのちの重み
今、問われていること
国はおかしたあやまちを謝罪せよ
第三部 文学は社会復帰したか
短歌の表現に就いて(文芸祭講演)
作家の密室
美登志・多一郎・保・治子
島比呂志論
北條民雄論
絶望の文学
短歌は社会復帰したか
共感と不満
ハ氏病療養所の詩人たち
内田静生論
打ち込まれたままの杭
山本肇論
短歌とは何か
遂に「不死鳥」は飛ばず
断種の句碑と共に
俳句における「癩」の用語問題
「白猫」の作者とその周辺
強いられた問い
わたしのトロチェフ
大江満雄論
あとがき――解説にかえて
著者紹介
凡例
付録 書誌・「多摩」五十年史