口絵
懸泉堂(佐藤家)系図
〔通史〕
佐藤春夫、〈反骨精神〉の誕生―その少年時代、上京まで―
一、春夫の誕生と父と母との系譜
・春夫の誕生
・父親の系譜―〈懸泉堂〉
・父の医学修業と新宮での開院
・母方の系譜と春夫の〈初めての旅〉など
二、春夫の小学校時代から中学校へ
・春夫の小学校時代
・春夫の高等小学校時代から新宮中学入学へ
・日露戦争に鼓舞される少年
・第五回内国博覧会をめぐって
・春夫の英語学習とクリスマスのこと
・日本基督教新宮教会のこと
・春夫入学の頃の新宮中学校―〈熊野大学〉といわれた
・春夫の新宮中学学生生活から―海外出稼ぎ子弟と通学路探索
・新宮中学生の投稿熱
・春夫の新宮中学生活あれこれ
・初恋の人、大前俊子との出会い
三、〈反骨少年〉の誕生
・〈反骨少年〉の誕生―三年次での落第
・奥栄一との交友
・沖野岩三郎、春夫の家族を描いた短編「自転車」
・〈俳句〉から〈短歌〉へ―熊野新宮の文化状況の変遷
・春夫の〈自我意識〉の象徴―「佐藤春夫殿下小伝」
・思索の場としての徐福墓畔
・下村悦夫と富ノ澤麟太郎
・復刊『はまゆふ』とその挫折
・春夫らの明星調からの離反
・春夫の「革命に近づける短歌」
四、新宮中学最終年の〈反骨〉
・春夫の講演会登壇事件
・春夫、生田長江に同行
・春夫への無期停学処分
・『熊野実業新聞』への投稿
・春夫の試作、戯曲「寝ざめ」
・与謝野寛の作品掲載
・新宮中学ストライキへの展開とその余波
・春夫不在の新宮中学ストライキ
・生田春月との関係
・「若き鷲の子」の詩の解釈と〈危機〉からの脱出
・ストライキ事件の余波と〈大逆事件前夜〉
・春夫の上京
・〈反骨〉から「日本人ならざる者」の自覚へ
・神田須田町の停車場
・「愚者の死」の製作
・番外編・春夫の反骨精神の行方
・おわりに
〔論考〕
佐藤春夫、新発見の『改造』関係原稿群にみる昭和初期の文学的展開―附、富ノ澤麟太郎の悲劇―
はじめに
一、芥川龍之介追悼、「是亦生涯」の意味
二、「大都会の一隅」、その作品背景
三、魯迅受容と〈同時代理解〉
四、富ノ澤麟太郎の悲劇を巡る状況
おわりに
父と子、〈確執〉から〈和解〉へのみちのり―佐藤春夫と父豊太郎にとっての〈強権〉―
はじめに
一、〈団欒〉の危うさ―沖野の作品「自転車」にみる父子像―
二、〈日なたの窪の磯もの〉への軽侮―曾祖父椿山らの教訓への齟齬―
三、作品『熊野路』の成立―父と子で読み解く椿山の「木挽長歌」―
四、鉄道敷設と懸泉堂の割譲―「ふるさと」に描かれた父と子の抵抗、〈近代文明〉への呪詛―
おわりに
佐藤春夫における短編「砧」の問題―熊野および春夫父子の〈大塩事件〉と〈大逆事件〉とをつなぐ心性―
はじめに
一、〈日なたの窪の磯もの〉への思い
二、懸泉堂の家督相続
三、曾祖父椿山の教訓
四、大塩の乱と熊野
おわりに
コラム
1 佐藤春夫と庄野英二―未発表草稿「佐藤春夫先生のこと」に因んで―
2 春夫と悦夫―若き日の“記念譜”発見に寄せて―
3 初恋の人俊子への贈歌と「ためいき」六章の問題―佐藤春夫記念館所蔵資料より―
4 龍之介の晩年と春夫
5 佐藤春夫の荷風評価、戦後の曲折
6 『南紀芸術』―昭和初期、和歌山からの発信―
7〈見ないと損な雲〉―佐藤春夫と檀一雄―
8 佐藤春夫と「中国」「台湾」―一九二〇(大正九)年の訪台に絞って―
9 佐藤春夫と台湾―一〇〇年前の足跡を辿って―
「あとがき」に代えて
索引(人名/書名・作品名/事項)