はじめに
地図 津田梅子のアメリカでの足跡
序 章 津田梅子のパイオニアスピリットに学ぶ
1 モットー「変革を担う、女性であること」――高等教育の牽引者津田梅子
2 「弱さを、気づきに。」――再度の留学の機会を
3 「強さを、分かち合う力に。」――後に続く女性を支援
4 「不安を、勇気に。」――私塾の創設
5 「逆境を、創造を灯す光に。」――幾多の危機を乗り切る
6 卒業生からのメッセージと「建学の精神」
第Ⅰ部 誕生・志・成育
第一章 津田梅子の家族背景と留学の経緯
1 家族背景
2 梅子の早期教育
3 女子留学生派遣の経緯
4 出 発
第二章 津田梅子が見たアメリカ――第一回留学時を中心に
1 梅子が見たアメリカ
2 梅子のアメリカ体験の歴史的位置づけ
第三章 初の官費女子留学生として
1 「人身御供」と呼ばれた女子留学生の旅立ち
2 ホストファミリーたちに支えられ
3 11年振りの祖国で選んだそれぞれの道
4 「WE」の絆のあかし
第四章 ランマンファミリーの一員として
1 ホストファミリーの決定
2 ランマンファミリーでの家庭教育
3 梅子のアメリカ化
4 旅、そしてチャールズの育み方
コラム① 手紙を書くということ
第Ⅱ部 助走・挑戦・収穫
第五章 ブリンマー大学への留学――生物学への道
1 再留学――「自分探し」の旅
2 梅子と生物学――「時代への挑戦」
3 モーガンとの研究、葛藤、そして帰国
4 生物学との決別――科学とジェンダー
5 梅子の生き方が今に語りかけるもの
コラム② 津田梅子の書いたソネット
第六章 自分に続く奨学生を――「日本女性米国奨学金」の創設、二度目のアメリカ留学の成果
1 二度目のアメリカ留学
2 梅子のビジョン
3 長期的な視野で女性リーダーの育成を
第七章 アメリカ講演旅行とイギリス視察を経て――19世紀末の女子高等教育と女子英学塾設立への飛翔
1 19世紀末における女子教育の状況と津田梅子
2 三度目のアメリカへ
3 イギリス女子教育パイオニアたちとの交流
4 オックスフォード大学の聴講生として
5 偉人たちとの出会い
6 イギリス滞在から得たもの――女子英学塾設立にむけての飛翔
コラム③ 新しい時代に向かって――1890年代オックスフォードと日本を繋ぐ思い
第Ⅲ部 創立・創造・継承
第八章 津田梅子、女子英学塾の創設――オールラウンドウーマンの養成
1 世界的なロールモデルとの出会い――三度目の海外渡航の収穫
2 アメリカの支援者たち
3 華族女学校辞任、そして女子英学塾の創設
4 女子英学塾開校式
第九章 アリス・ベーコン――女子英学塾の創設を支援
1 ベーコン家の末娘として
2 日本からの誘い
3 女子高等教育の観点から
4 「ハーバード女性試験合格」という経歴
5 情熱の裏に
第一〇章 アナ・ハーツホン――国際的ネットワークによる女子高等教育への支援
1 出会い
2 決 意
3 女子英学塾教師として
4 アメリカでの募金活動
5 大学のシンボル、ハーツホン・ホール
第一一章 安孫子余奈子――関東大震災からの復興を支援
1 安孫子余奈子
2 塾拡張に向けて
3 関東大震災とその後の支援活動
4 カリフォルニアでの募金活動
5 復興、そして再建
第一二章 新渡戸稲造――女子英学塾の基盤を支援した知識人
1 出会い
2 協力と別れ
終 章 一粒の麦――ノブレスオブリージュの精神
1 梅子を支援した人びと
2 ビジョナリーであることと「ノブレスオブリージュ」
3 一粒の麦
おわりに
津田梅子年譜
人名・事項索引