復刊に寄せて(医療法人社団順仁会 町クリニック 院長 加藤一良)
はじめに
ひとこと
わたしの解読
序 章 鉄剣の閃光
九州王朝の国都
稲荷山鉄剣の閃光
「九州王朝説」への知見
仮説と定説
九州王朝は存在する
〝定説〟への弔鐘
第Ⅰ部 青年との対話
第一夜
線文字Bの解読
「辛亥」=四七一年か
第二夜
〝中〟とはなにか
「記」の意味するもの
銘文の人名
「音当て主義」
第三夜
なんでも「古事記・日本書紀」
再び「音当て主義」について
第四夜
「カミツミオヤ」か
わたしの読み方
わたしの方法
第五夜
「比垝」=「比企」か
未定の問題
「日本に一個の笑い事あり」
第六夜
和訓をふれば
補い解することなかれ
「杖刀」の意味
杖刀は武将の姿
第七夜
注意すべき二点
「来至」
第八夜
「定説」を疑え
こうして「雄略」になった
カタシロ大王
奉事の系譜
第九夜
大王は天皇なりや
「武」の亡霊
九州の大王
第十夜
何故「シ」なのか
「試案」ということ
第十一夜
寺はお寺にあらず
果して日本式漢文か
一字名の大王
第十二夜
「雄略」と「シキ宮」
九州にも春日あり
同音地名のこわさ
遺物も東遷か
第十三夜
アイデア倒れ
宮殿の所在地
第十四夜
「左治」の典拠
周公「左治」す
雄略ではない
銘文の生命
「統一国家」の存在
第十五夜
剣と刀
第Ⅱ部 少女との対話
稲荷山古墳の発掘
文字の意味
原文のままに読む
「寺が宮に在る」背理
「府」はあった
太宰か大宰か
「寺」という役所
「筑紫」の暗示
なぜ「雄略」にきめたのか
読みは不確定でもよい
大事なのは文脈
第Ⅲ部 大阪にて
井上光貞氏への疑問
「杖刀人」は果して舎人(とねり)か
当時は舎人はいない
時間帯の違い
奇妙な死者授号
岸俊男氏への疑問
「おちつかない」理由
粘土槨と礫槨
斎藤忠氏への疑問
どちらが主棺か
佐伯有清氏の読解
臣と直
宮崎市定氏の読解
漢文の論理
定説派への疑問
田中卓さんの夢
再びわたしの読み方
ヲワケノオミは大和の人か
大舎人(おおとねり)
「左治」の重さ
藤沢一夫氏の見解
学問的研究ということ
「論外」という批判
予断のこわさ
関東の金石文明
関東は「金」の宝庫
両者の共通性
銀環の意味
棺はもうないか
棺の位置
第Ⅳ部 東京にて
大野さんとの対談
前提の相違
黛さんの反論
権力の中心地の移動
「東方」と「西方」
毛人とは
「東端の意味」
衆夷は当然
倭王武、四七一年にいまだ即位せず
上表文は語る
第Ⅴ部 洛西にて
宋書倭国伝
「辛亥」は五三一年か
その時「雄略」はいなかった
六十年前の回想
補編 友アリ遠方ヨリ来ル
中小路さんからの手紙
第一信
第二信
貴重な資料
倭国・日本国の二国あり
再び一字名の大王について
礫床の主
「文字探し」クイズ
上代特殊仮名遣
「東国の歌は除外」
磯城宮
多胡碑と説話
学問の方法について
一 原文改定
二 原作者軽視
三 単語主義と文脈主義
四 漢語の和風読み
五 仮説と検証
六 大和中心主義の批判
七 中国史料と日本史料の関係処理
八 わたしの方法
おわりに
復刊のことば――故岸俊男氏にささげる――
巻末特別付録 「関東の大王と稲荷山古墳の鉄剣――多元的大王権の成立――」
あとがきにかえて(古田光河)
地名索引
事項索引
人名索引
古田武彦の読解に基づいた稲荷山鉄剣銘文索引