序 章―本書へのいざないと展望
一 一つのカラダに二つの心
二 外にある心
三 妄心のいたりて狂せるか―〈心〉と〈外部〉
四 魔と文芸
五 自分の内なる二つの心―真心と妄心
六 心と鏡―妄心こそ悟りの証し
七 本書への展望
第一章 心に思うままを書く草子―徒然草とは何か
一 『徒然草』成立伝説が示唆すること
二 つれづれなるままに
三 『徒然草』序段表現の典拠再考―『枕草子』跋文をめぐって
四 序段謙退の構造
五 心に浮かぶことを書き付ける系譜
六 手習・反古と思うままを書く草子
七 『徒然草』序段と『源氏物語』―「硯にむかふ」手習
八 『徒然草』序段と『源氏物語』―「そこはかとなく書きつくる」手習
〈補論〉
その一 「ものぐるほし」について
その二 「硯にむかふ」女
その三 兼好と「小野」
第二章 心に思うままを書く草子―〈やまとうた〉から〈やまとことば〉の散文史へ
一 『源氏物語』の手習から『徒然草』へ
二 心に思うことを書くことと『古今和歌集』
三 心に思うままを詠む京極派への批判が拓く散文表現の可能性
四 兼好の『古今和歌集』注釈と『徒然草』
五 歌人としての兼好と「随意」なる「やまとことば」の提唱
六 思う心と綴ることば―『徒然草』の選択と方法
七 『徒然草』という達成―中世散文史へ向けて
第三章 徒然草の「心」
一 心に動く―問題の所在
二 心にうつりゆく―『徒然草』序段の解釈
三 心に「うつりゆく」と鏡の譬喩
四 心と鏡の中世
五 『徒然草』二三五段の譬喩をめぐる
六 『徒然草』と禅的表現―『仏法大明録』をめぐって
七 『明心』が提起する視界
八 真心と妄心の構造―『徒然草』への途
九 心と詞―鏡の比喩がもたらすもの
第四章 徒然草と仮名法語
一 『徒然草』と禅宗との関係
二 『徒然草』と仮名法語の類似性
三 仮名法語の体用論をめぐる問題と『徒然草』
四 『徒然草』と禅という視点
五 聖一国師仮名法語について
第五章 ツクモガミの心とコトバ
一 ちいさきもの―ヒアシンスハウスの心
二 物に宿る精気、変化するツクモガミ
三 ツクモガミと『伊勢物語』古注
四 「作物所」とツクモガミ
第六章 和歌を詠む「心」
一 『撰集抄』に於ける和歌と唯識
二 唯識を説く『古今和歌集』注釈書
三 『沙石集』の歌論が示唆するもの
四 和歌を詠む〈二つの心〉と唯識論
五 外から来る心と散文の成立
六 和歌と散文―根拠と離脱へ
第七章 和歌と阿字観―明恵の「安立」をめぐって
一 明恵『遣心和歌集』の「安立」
二 仏教語「安立」再考と為兼歌論「相応」との連続
三 「安立」が導く阿字観と和歌の関係
四 『遣心和歌集』の「安立」再読―阿字観との関わり
五 阿字観と『古今和歌集』
六 阿字観と明恵
第八章 沙石集と〈和歌陀羅尼〉説―文字超越と禅宗の衝撃
本論の前提―はじめにかえて
一 和歌陀羅尼説について
二 『沙石集』の和歌陀羅尼説
三 『沙石集』に先行する和歌陀羅尼説と意味―三国言語観をめぐって
四 『沙石集』の言説と神道・真言・天台、そして禅宗
五 マルチ言語としての三国言語観とハイパー言語としての以心伝心―和歌陀羅尼観のゆくえ
第九章 仏法大明録と真心要決―沙石集と徒然草の禅的環境
一 無住『沙石集』と兼好『徒然草』―その類似と禅的環境
二 聖一国師円爾に於ける『宗鏡録』と『仏法大明録』
三 虎関師錬の『仏法大明録』忌避
四 普門院蔵の宋版『仏法大明録』と古写本が示すこと
五 良遍著『真心要決』における『仏法大明録』引用
六 良遍『真心要決』の成立と円爾そして『仏法大明録』所引のこと
七 「真心」と「妄心」をめぐる『宗鏡録』と『仏法大明録』の位置
八 『真心要決』に対する『仏法大明録』のさらなる影響について
九 『沙石集』の「真心」について
十 無住と円爾―『宗鏡録』と『仏法大明録』をめぐって
十一 無住論の行方―おわりにかえて
第十章 『徒然草』というパースペクティブ
一 『徒然草』前半部と『枕草子』―問題の所在
二 「法師」をめぐる
三 山極圭司の『枕草子』影響論
四 堺本「めでたきもの」と『徒然草』第一段
五 堺本再評価と前田家本独自箇所の位置づけ
六 中世に於ける堺本の流行と『徒然草』
七 堺本から見た「法師」論
八 『徒然草』の地平と視界
九 第一九段から見えること
十 『徒然草』のパースペクティブ―都・あづま・片田舎の発見
あとがき
初出一覧
引用本文等一覧
索 引
人名索引
書名・事項等索引
徒然草章段・諸本索引