本書は,静電気についての入門書であると同時に,静電気の専門でない技術者や市民のためのガイドブックである。静電気問題は,工場やオフィスだけでなく家庭や身のまわりにいくらでも生じるので,非専門家がこれに対処することになる。また,電気技術者であっても静電気の基本(その内容はじつは簡単なことであるが)がよく頭に入っていないと,静電気問題に直面したときに途方に暮れてしまうことが多い。こういった状況を改善するために書いたのが本書である。なるべく気軽に手にとって読んでいただければ幸いである。
古くて新しい静電気問題
静電気による障害や事故は,現代の重要な問題である。静電気は古くて新しい問題であると言われる。雷は太古の昔から人類に知られていたが,その雷雲は静電気によって生じる。紀元前600年頃のギリシャのタレスは,こはくをこするとほこりを吸いつけることを観察した。
さらに次のようなエピソードも伝えられている。11世紀には,ローマ法王グレゴリウス7世(”カノッサの屈辱”事件の法王)が手袋を脱ぐときにショックを経験したという。12世紀には,テサロニカの司教が衣裳を替えるときに火花が散ってパチパチという音がしたと伝えられる。これらは静電気による放電であったと考えられる。
このように古くから知られていた静電気の問題を解決できないのでは,研究者として自慢にならない。その反省が,本書執筆の動機のひとつである。
現代社会では,静電気問題はいっそう重要かつ深刻になってきた。それは,電気絶縁抵抗の高いプラスチックの使用が非常に広がったからであり,エアコンの普及で屋内の湿度が下がったからであり,そしてマイクロエレクトロニクスの拡大によってわずかな過電圧で素子や機器が壊れるようになったからである。とくに,電子素子は高速・高性能なものほど動作レベルが低いので,過電圧による障害を起こしやすい。マイクロエレクトロニクス分野のハイテク開発は,一面において静電気による障害に弱くする競走のようなものである。これらのトレンドは,決して後戻りすることはないであろう。静電気による問題は今後ますます問題となるであろうし,その研究は重要度を増すであろう。
本書は,こういった今日の状況に焦点を合わせて,静電気がどういう状況で発生し問題になるかを述べる。とくに,静電気に起因して起きる放電(静電気放電)を中心に,筆者自身の研究に基づいて,静電気及び静電気放電の検出方法とその防止対策を説明する。
現実に静電気問題に対処しなければならない読者は,電気専門家でない場合が多いはずである。電気が専門でない人(市民・消費者や家庭の主婦も)にもわかるように,本書を書いたつもりである。それでも,専門技術の説明を長く書かなければならない箇所もある。専門用語を使った説明をわずらわしく感じたら,飛ばして先を読んでもらって差し支えない。重要なこと(かんどころ)は何回もくりかえし出てくるので,これを注意して読んでほしい。用語法など,専門家からみるとやや厳密さを欠くところもあると思うが,理解のしやすさを優先した。さらにくわしいことを知りたい読者は,文献を参照してほしい。
静電気問題はもつれた糸玉
古くから解決されなかった静電気の問題は難しいと言う人もいる。確かに,静電気問題は一件したところ込み入っていて,有効な対策を見出しにくい場合が多い。しかし,静電気問題の原理や法則は簡単であって,その数もいくつかしかない。その理論に難しい式は出てこないし,たかだか比例式や分数式である。静電気問題が込み入って見えるのは,場合の数が多いからである。物体が導電性か絶縁性か,接地物から近いか遠いか,面の裏か表か,金属部分が接地してあるかどうかなどといったいくつものファクタがあり,すべての場合を比較して調べないと障害や事故防止の決め手は発見できない。ファクタが2つの組み合わせならば,場合の数は2の二乗であるから4,ファクタ3つならば8,ファクタ4つならば16……である。ファクタが増えると,場合の数は非常に多くなり,すべてを調べるのは困難になる。
込み入って見える静電気問題はもつれた糸玉のようなものである。文豪森鴎外は,令嬢がもつれた毛糸の玉を前に途方に暮れているのを見て,「お父さんに貸して御覧」と言って毛糸の玉を持って自室に入り,ときほぐしたという。糸玉はもつれていても,糸は位相幾何学的には同一平面上にある。強く引っ張るともつれる一方であるが,丹念に広げていけば1本の糸にほぐれるのである。静電気問題は,組み合わせのすべてを調べていけば,簡単な法則が支配しているのが見えてくるのである。
しかし,工場の現場や生活の実際面で,多数の場合を比較して調べるのは事実上不可能である。組み合わせの場合を丹年に調べる研究は大学の守備範囲であると言える。本書の多くの部分は,大学の研究室でのモデル実験の成果をまとめたものである。
静電気研究の必要
障害や事故の防止は,いわゆる負の経済である。防止策を講じずにすむならばその分の費用はかからないから,いちばん安上がりである。しかし障害や事故が起きると,企業の信用なども含めて,巨額の損失をこうむることになる。やはり,前もって防止策を実行する方が得である。
しかし実際には,適切な防止策が講じられて静電気対策のノウハウが蓄積されていても,工場の生産工程に関係するので,部外秘とされることが多い。それゆえ,いつまでたっても静電気対策の知見が技術者の共通認識にならない。大きな会社の場合には,事業所や部課が違うだけで静電気の技術が伝達されない。静電気の技術を持っていた部課でも,担当者が変わると技術も記録も失われ,障害や事故が頻発する。こういう状況を少しでも改善したいという思いで,本書を書いた。
いくつものファクタの組み合わせの結果として現れる静電気問題に”糸玉をときほぐす”努力をせずに取り組んでも,成果は上がらないことは多い。徐電器を多数設置したり,作業室のいすを静電気対策いす(キャスターやジョイントのプラスティックを導電性にしたいす)に全部取り替えたりしても,目立った改善が見られなかったり,場合によっては逆効果になったりする。静電気対策の考え方を確立したうえで現象に対処するのが良い。つまり,大事なのは,ハードではなくソフトであり,対症療法ではなく基本の考え方なのである。
筆者は,静電気障害・事故対策の相談を受けてきた。ある程度以上の規模のメーカーならば,静電気対策の基礎をわきまえた専門家がいるべきである。それは企業にとってペイするはずであるが,現実にはビッグビジネスであるメーカーでもこのようなことをしていない。コンパクトな解説である本書をまとめた目的のひとつは,静電気問題の専門家を養成する必要性を少しでもわかってもらうためである。
日本には静電気問題を専門とする研究機関はほとんどないが,東京都立産業技術研究センターは長年にわたってこれを研究している。このような研究機関があと数箇所あれば望ましい,と筆者は考えている。
本書の第3章までは,静電気,帯電,除電を扱う。基礎となる事項を説明しているが,事例の具体的な説明も織り込んだ。糸玉をときほぐすには,位相幾何の”理論”を知っていてもときほぐすすべやノウハウを身につけていなければできない。静電気問題に対処するのもこれと同様であり,基礎事項を学んだだけでは不十分で,練習問題に対処するのもこれと同様であり,基礎事項を学んだだけでは不十分で,練習問題と言うべき事例研究が必要である。第1章の事例がいま自分のかかえている問題と違うと思っても,第2章のすべてに眼を通すことをおすすめする。
第4章では,静電気の検出・測定の方法と,装置・器具について述べる。第5章以後は,代表的な静電気放電について事例研究をややくわしく述べる。
マイクロエレクトロニクスでは,静電気による障害や事故が起きやすい。第6章ではこれを扱う。第5章と第6章の内容は,将来顕在化して問題になり得る静電気と静電気放電問題を先取りして述べることにもなる。やや”学問的”であって読みやすくないかもしれないが,静電気問題に対処しようとする技術者はぜひ読んでほしい。必ず役に立つヒントが得られると思う。
本書では,つとめて筆者自身の研究と経験に基づいて静電気問題を論じた。本書の記述で静電気問題のすべてを尽くしているわけではないが,本書が大から小までのメーカー,それに市民の日常生活で起きる静電気問題の解決に役立つならば幸いである。
本書の執筆にあたっては,本田昌實氏(インンパルス物理研究所),門永雅史氏(リコー)ほか多くの方々から,いろいろとご教示をいただいた。東京大学の河野照哉先生と千葉政邦氏からは,ご指導と有益な討論をいただいた。ここに心からお礼申し上げる。本書執筆には相当に努力したつもりであるが,不十分な点が残っているかもしれない。諸賢の御叱正をお願いする次第である。
2007年4月
高橋雄造
新版にあたって
小著『静電気がわかる本―原理から障害防止ノウハウまで』(工業調査会,2007年)が『静電気を科学する』として東京電機大学出版局から刊行されることになった。多くの方々に本書を読んでいただければ幸いである。この機会に,多少の修正を行った。
マイクロエレクトロニクス化、情報化の進行する現代社会は,静電気障害の面で脆弱である。事故と安全,製造物責任といったことが問われる時代に,静電気の知識とノウハウへのニーズは高まるであろう。技術者として静電気を専門にすることは,社会,工業,市民生活に役立つ職業生活につながる。意欲のある若い諸君がこの分野に取り組むことを期待したい。
2011年7月
高橋 雄造