渋沢栄一近影
揮毫「徳不孤必有隣」
『処世の大道』に就いて 渋沢敬三
第一話 論語主義を信奉する理由
論語に親しむようになった機縁/なぜ『論語』を推挙するのか/『論語』を実践躬行する/論語主義は明治六年から/明治維新前の商工業者/儒教は宗教なのか/『論語』に書かれた九ヶ所の天の教え/孔子はどのような人か/孔子の志を察するに余りあり/渋沢にも孔子の志あり/円満な孔子
第二話 論語は実践の教訓
学而第一の冒頭/世間に知られないことを憂うな/知と行は別物ではない/今の賢者の処世振りを悲しむ/論語はことごとく実践躬行の教えである
第三話 商工業における仁の道
孝悌と三省との功徳/礼と和とはどのようなものか/学者に対し刺戟となる/今日に行われぬ教訓/仁とは何ぞや/商工業における仁の道/巧言令色と直言との利害/三省と記憶力の増進/記憶強健なる所以/実行して余力あれば文を学べ/家庭円満の基本は無邪気
第四話 渋沢は門戸開放主義
孝を子に強しいるべからず/父晩香の孝道論/子に対する考え/客に接する二通りの見地/虚偽・欺瞞の接客法/渋沢は門戸開放主義
第五話 知らざるを知らずとせよ
理論と実験との併行/知らざるを知らずとせよ/大西郷は偽いつらぬ人/大西郷と豚鍋を囲む/御議事の間まの会議/大西郷曰く「戦いくさが足りぬ」/大西郷の一言意味深長/大西郷の来訪/二宮尊徳の興国安民法/大西郷、理に責められて窮す/時には返答に困る事がある/井上と大隈に苦しめらる/黙して答えぬ私の返答
第六話 信と義が欠ければ、国も人も亡ぶ
民に信がなければ、その国は亡ぶ/信は「親」より進化したもの/武士道は義によって立つ/文天祥の衣帯銘/高杉晋作と坂本龍馬/桜田事変の有村次左衛門/水戸烈公は偏狭の人/東湖の遺子藤田小四郎/太田道灌の辞世/不義を見てなさざるの勇/死を決して大塩平八郎を諫む/大典参列の光栄と渡米/渡米の精神『論語』に発す
第七話 正々堂々の争いは排すべきに非ず
争うは是か非か/処世上における争いの利害/先輩にも二種類あり/保護が保護にならず/益を与えし従兄/克己復礼は争いにあり/渋沢も争うことあり/大蔵省総務局の椿事/争わぬ青年は卑屈となる/時期を待つ要あり/官尊民卑の弊止やまず/江藤新平と黒田清隆/木戸孝允と大久保利通/伊藤博文の争いぶり/伊藤の議論ぶり/大隈重信のその昔
第八話 哀楽の中庸を得る心がけ
人はとかく極端に走りがちである/渋沢には至らないところがある/極端に節度を守れば残酷陰険になる/徳川慶喜公は中庸ある人/泣けて頭が上がらなかった
第九話 人の過失に二種類
孔子は何事にも淡然/人の過失には二種類ある/悲観的な人は残酷なものである/井上馨と大隈重信との例/渋沢の人と事に対する態度/人は他人に害を与える意志がない
第一〇話 富貴は正しい道によって獲得せよ
宋の儒学者の誤り/文王の政治にも金は必要だった/三井家の今日までの由来/万国日曜学校大会/孔子教とキリスト教の違い
第一一話 算盤の基礎を論語の上に置け
道徳と算盤は矛盾しない/鎌倉時代から徳川時代へ/徳川家康と朱子学/徳川時代の儒学/算盤の基礎を論語に/古稀祝いの書画帖/三島中洲の論語算盤説/西原亀三の著書への序文/悪銭も時には身につく/相場で儲けた金銭/商売は商戦にあらず
第一二話 自信と智略
暴挙を慫慂するわけではない/道理に照らして行え/自信は安心立命の礎/曾子の偉大な人格/孔子の忠恕とキリストの愛/智略も必要である/恩威とは金か/銭ねと拳固
第一三話 一を聞いて十を知る人
一を聞いて十を知る人は稀まれ/平岡円四郎と藤田小四郎/陸奥伯に丈夫の志なし/言行の不一致を責む/始めは言により人を信ず/大事業を達成する人の鑑識/井上侯の人物鑑別眼
第一四話 決断の遅速
三思するも、なお、足らざることあり/太閤秀吉と柴田勝家/秀吉の家康対策/人の重んずるは晩年/水戸義公の決断力非凡/徳川慶喜公の決断も明快
第一五話 私の処世方針と態度
野依秀市と初対面の動機/私の実業界に身を投ぜし所以/私が実業界隠退の時期
解題 『実験論語処世談』から『処世の大道』へ 井上潤
略年譜
参考文献
あとがき 割田剛雄