序章[遠藤 薫]
第Ⅰ部 オリンピックと国家アイデンティティ
第1章 踊る東京オリンピック──〈東京五輪音頭〉を読み解く[遠藤 薫]
1 はじめに──1940年東京オリンピックから1964年東京オリンピックへ
2 東京オリンピックの音楽戦略
3 『東京五輪音頭』という映画
4 もう一つの〈東京五輪音頭〉映画──『日本一のホラ吹き男』
5 「東京五輪音頭」から「世界の国からこんにちは」へ
6 おわりに──終わりの始まり
第2章 戦後日本におけるナショナリズムとスポーツ──円谷幸吉の死を中心に[木本玲一]
1 はじめに
2 スポーツと戦争
3 オリンピックと自衛隊
4 円谷の遺書と作家たち
5 1964年のナショナリズム
6 おわりに
第3章 1964年東京オリンピックはなかった──映画『男はつらいよ』シリーズにおける戦争・オリンピックの不在[遠藤 薫]
1 はじめに──東京オリンピックとTVメディアの興隆
2 戦後の国民的映画としての『男はつらいよ』シリーズ
3 『男はつらいよ』における「戦後」の消去──「葛飾柴又」という舞台
4 「オリンピック」の消去──逝きし者の面影としての「寅次郎」
5 『男はつらいよ』シリーズにおける三つの時間
6 「戦後映画」としての『男はつらいよ』
7 1969年という年──グローバルな時代の中で
8 『男はつらいよ』の時代
9 『男がつらい』の現在──東日本大震災から2021年東京オリ・パラ
第Ⅱ部 オリンピックが浄化する東京
第4章 汚臭・民度・芸術──二つの東京オリンピックと公衆トイレ[中田喜万]
1 はじめに──「THE TOKYO TOILET」プロジェクトからさかのぼって
2 「外人客」を応接するために──戦後昭和のオリンピック経験
3 経済成長の果実として──「上品な社会」化した平成・令和
4 おわりに──「インバウンド」の狂騒の中で
第5章 街から消えたのは──東京オリンピックと首都美化運動[遠藤 薫]
1 はじめに
2 彼らは誰だったのか
3 子どもたちにとっての記憶
4 東京オリンピックと街の美化運動
5 廃棄と消費
6 2020-2021年東京オリンピック・パラリンピック
7 おわりに──多摩川河川敷の空き缶
第Ⅲ部 オリンピックとポピュラー・カルチャーの変容
第6章 オリンピックと恋愛技術の変遷──ナンパからマッチングアプリへ[塚越健司]
1 はじめに
2 解放としての「ナンパ」──1970年代までのナンパシーン
3 1980年代~2000年代のナンパ
4 新自由主義とナンパ
5 2010年代以降の恋愛技術
6 おわりに
第7章 ジャニーズと二つの東京オリンピック──1990年代半ばにおける国家意識の形成とバレーボール[周東美材]
1 はじめに
2 1964年の東京オリンピックとジャニーズ
3 ジャニーズとバレーボール
4 夢としてのアメリカ/暴力としてのアメリカ
5 おわりに
第8章 二つのオリンピックと紅白歌合戦──個人化/デジタル化による変容[遠藤 薫]
1 はじめに
2 二つのオリンピックと紅白歌合戦
3 音楽産業の変容──プラットフォーム・ビジネスとサブスク
4 「新しい音楽」と価値共創──YOASOBIから考える
5 韓国における音楽市場の動向──BTSというアクティビティ・モデルとその限界
6 おわりに
第Ⅳ部 オリンピックとアジア
第9章 三つのオリンピックとナショナリズムの行方──松本健一のアジア主義[田頭慎一郎]
1 はじめに
2 「一九六四年社会転換説」
3 ソウルオリンピック(1988年)後
4 北京オリンピック(2008年)
5 おわりに
第10章 「国」を背負う選「手」とは誰か?── オリンピックにおける「中華民国/台湾/中華台北」名称に見る台湾アイデンティティの構築[陳 怡禎]
1 はじめに
2 台湾代表チーム名称の変遷
3 「国(の担い)手」とは誰か
4 結び
終章 「客分」の呪縛──日本人にとって「国」とは何か[遠藤 薫]
索引
編著者・執筆者略歴