哲学がわかる 懐疑論
パラドクスから生き方へ
著:ダンカン・プリチャード
訳:横路 佳幸
内容紹介
真理と正しさへの関心が失われると、懐疑はたちまち過激となり、相対主義へと姿を変える。フェイクニュース、陰謀論……、危機の時代と言われる今だからこそ、正しく疑う実践の技を身につけよう。「これぞ!哲学」と唸らせるような説得力ある議論とともに、一人ひとりが懐疑の本質を心得たうえで自信を持って生きること、謙虚に生きていくことの大切さを伝える。
目次
日本語版への序文
謝辞
1 懐疑論とは何か
懐疑とは疑念を抱くことである。健全な懐疑論は特定の主張を問題にするが、過激な懐疑論は対象を大幅に拡張してしまう。過激な懐疑論は、社会や政治にどのような影響を与えるのだろうか。
懐疑論を導入する
真理・相対主義・誤りうること
知識とは何だろうか
懐疑論と不条理
2 知識はありえないのか
ある有名な哲学的論証によれば、私たちはいかなることも知りえない。身の回りの世界について知っているというとき、その信念を持つに足る認識的理由を私たちは持ち合わせているのだろうか。
懐疑論を振り返る
デカルト的懐疑論
あなたは水槽の中の脳なのだろうか
懐疑論と閉包性
過激な懐疑論が提起するパラドクス
3 知識を擁護する
G・E・ムーアやウィトゲンシュタインなど、哲学者たちは過激な懐疑論にどのように応答してきたのだろうか。その一つを選んで勝利宣言はできないが、匙を投げるのもまた時期尚早である。
過激な懐疑論的論証を振り返る
懐疑論と常識
懐疑論と文脈
懐疑論を逆手に取る
4 生き方としての懐疑論
よりよく生きるにはどうしたらよいのだろうか。過激な懐疑論はここでも破壊的な帰結をもたらす。しかし適度な懐疑論は、よりよい人生の邪魔にならないのか。いざ、知的な徳の議論へ。
過激な懐疑論、再び
知的な徳と悪徳
ピュロン派懐疑論
懐疑論、自信、そしてよく生きること
訳注
懐疑にまつわるエトセトラ ― 訳者解説
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索引