序 杜鵑啼血――「子規」の由来
第一章 伊予の儒者大原観山の孫――「世の人は四国猿とぞ笑ふなる」
『現代百人豪』
誕生と祖父大原観山
妹律
父
「桜亭雑誌」第六号
叔父加藤拓川
第二章 上京と俳句への起点――「ねころんで書よむ人や春の草」
上京
陸羯南
連俳
ベースボール
清水則遠の死
日光旅行
高友米山保三郎
曽祖母小島久
初恋
「俳句分類」
第三章 畏友漱石との交流――「余は始めて一益友を得たり」
畏友夏目漱石
「書て書て書き続けたり」
漱石の奔走
藤井紫影と田岡嶺雲
『猿蓑』と『三傑集』
「月の都」
転居
第四章 陸羯南と「日本新聞」――獺祭書屋主人の誕生
「かけはしの記」
『獺祭書屋俳話』
月並
坪内逍遙訪問
蕪村
三人家族
産寧坂の愚庵
日本新聞社出社
俳句の寂
互選句会
主治医宮本仲のこと
退学
雑誌「俳諧」
旧派俳人江左のこと
多情多恨の人中野逍遙
『はて知らずの記』の旅
春秋庵幹雄
机上詩人への戒
鮎貝槐園
第五章 ジャーナリスト子規と「小日本」――「日本新聞社員タリ」
文学者十二ヶ月
「芭蕉雑談」のこと
「小日本」
再びの転居
古島一雄
角海老
森鷗外
中村不折
第六章 従軍後の子規と、虚子の献身――「行く秋の腰骨いたむ旅寝かな」
『なじみ集』
従軍記者
古白のこと
神戸病院入院
福本日南
其角堂機一『発句作法指南』
「獄中の鼠骨を憶ふ」
後継者問題の発端
愚陀仏庵同居生活
日蓮
カリエスの前兆
相続者は虚子
第七章 蕪村への傾倒――「蕪引く頃となりけり春星忌」
明治二十九年の初句会
一葉『たけくらべ』評
海嘯(つなみ)
与謝野鉄幹
新出大原恒徳宛書簡
「ほととぎす」創刊
句兄弟
看護婦加藤はま子
子規と島崎藤村
艶笑戯画への讃
『新派俳家句集』事件
裸体画事件
蕪村忌
『蕪村句集』輪講
「歌よみに与ふる書」
『新俳句』
野暮主義
墓碑銘
短冊の値段
雁来紅
東京版「ホトトギス」
第八章 歌人子規と伊藤左千夫――竹の里人の短歌革新
エライ人
実景
曙覧の歌
羅蘇山人
『牡丹句録』
寺田寅彦の子規庵訪問
人力車
硝子窓
伊藤左千夫
肺病の伝染予防
長塚節の子規庵訪問
最後の外出
浅井忠
「ほとゝぎすは余の生命なり」
香取秀真への忠告
第九章 『墨汁一滴』と『仰臥漫録』――「全く書かざるには勝りなん」
最後の写真
平賀元義
竹村秋竹『明治俳句』
蓑と笠
中島湘烟と子規
「うまい物を喰ふ」
「どちら向いても体痛く」
朝鮮少女の服
自殺未遂
『一年有半』
「此頃ノ容体及ビ毎日ノ例」
「「墨汁一滴」トイフ短文」
第十章 最期の年と『病牀六尺』――「俳句はたまにやり候。歌はもう出来なくなつた」
看護当番
「僕ノ今日ノ生命」
蔵沢のこと
「四ツ目屋」事件
中村楽天『徒歩旅行』
「嘲諸兄歌」
原安民・原千代子
子規最後の歌
絶筆三句
死去
国分青厓
白石南竹『俳人子規』
「子規翁終焉記」
跋 律の死――「さむらひの娘」として
参考文献
正岡子規略年譜
あとがき
俳句(含付句)・短歌索引
書名索引
人名索引