子ども学序説
変わる子ども、変わらぬ子ども
著:浜田 寿美男
目次
序章
「子どもである」という条件/子育ては自然と文化の出会うところ/自然をくるむようにして生まれた文化/文化が自然を裏切るとき/学校教育は子どもの自然を裏切っていないか
Ⅰ 子どもという自然
第1章 「わたし」の生まれるところ
1 身体という場――〈わたし〉の発生する場所
しゃぼん玉/環世界というもの/目の位置から広がる遠近法の世界/空間知覚における恒常性と最遠平面/時間の最遠平面
2 この世で互いに身体をつきあわせて
私の〈わたし〉と他者の〈わたし〉/何もないところに〈わたし〉を立ち上げる/赤ちゃんのなかに〈わたし〉を見る/受動の嵐にさらされて
3 ふたたびしゃぼん玉に戻って
〈わたし〉のなかに他者の〈わたし〉が染み込んでいる/しゃぼん玉のように閉じ,しゃぼん玉のように開く/おのずからなる「共同」のなかにいて
第2章 子どもの能力と無力
1 能力と生活の織り合わせ
「自然の計画」というもの/能力は個体で閉じない/人と人を織り合わせている「自然の計画」/身につけた能力とそれを使った生活
2 人間の計画と個体能力論
能力が能力として取り出されるとき/子どもの自然が損なわれていくとき
3 人間の壁――泣くということの意味
泣くという能力/二つの泣き/自然の壁と人間の壁/「神のうち」からの出立
第3章 「神のうち」から「人の世」へ
1 内の世界が生まれるまでの前史
共生からことばの世界へ/1次的ことばが外に内に広げる世界/2次的ことばが生み出す世界
2 「ぼく」の変容
第2の誕生/外に向かう「ぼく」
3 外から内へ――子どもからの脱皮
外へ広がることばの宇宙/内へ向かうベクトルの萌芽/内向することばの宇宙――心性のコペルニクス的転回
4 青年に向かう子どもたちの心性の構造
ひとりとふたり/秘密とその共有/オモテとウラ/性と対の形成
5 子どもたちの行方
人の世界は対人世界に閉じない/疎外の個体発生
Ⅱ 学校という文化
第4章 学校のまなざしとその錯覚
1 子どもはひたすら「守られる存在」ではない
〈守る-守られる〉という人間の自然/自分の力で人を喜ばせて喜ぶ生き物
2 子どもはひたすら「力を身につける存在」ではない
身につけた力を使って生きる/文字の読み書きの力とそれによって広がる世界/子どもが学校で身につけた力は,どこでどのように使われるのか
3 錯覚から引き起こされた残酷な不幸
ある少年事件/「発達障害」という診断/「個人を変える」という発想/剥き出しになった個人
4 発達の大原則と教育のまなざし
人が生きるかたち/手持ちの力を使って,いまをともに生きる/子どもの「将来」と「教育」のまなざし
第5章 「学べない」子どもたち――学びの危機
1 明日への希望と閉塞
二つの詩から/希望の場としての学校/自分が自分でなくなる場
2 学ぶ生き物である人間が,学ぶ場としての学校で,学べない
学びにまつわる錯覚/「将来のためにあらかじめ」という発想/学ぶべきことが外からあらかじめ決められる
3 心理学の倒錯
動機づけという発想/「内発的動機づけ」ということの奇妙さ
4 学びの構図,希望の構図
第6章 いじめという回路
1 学校という場所
ある中学生の手紙/同年齢で輪切りにされた集団/学校が社会のなかで占める位置の変化
2 生き物としてのライフサイクル――〈守られる-守る〉こと,対等性を生きること
人と人との間に葛藤のない時代はない/関係の重層性を奪われた子ども時代
3 回路をなすいじめ
立ち向かえないいじめの回路/相互性がない/中心がはっきりしない/いじめる側の理屈に,いじめられる側が飲み込まれる/集団が閉じている
4 閉じた回路から開いた順路へ
おとなたちの直接的介入とその限界/学校を外に向けて開く/重層性の成り立つ場で差異を認め合う/特別支援教育の理念と現実/生活の場としての学校
第7章 学校は子どもたちの生活の場になりうるか
1 学校のまなざしと生活のまなざし
友だちのうちはどこ?/地域離れ,生活離れをうながす学校
2 学校とは何だったのか
学校は〈生きるかたち〉を伝える場であったか/学校と「富国強兵」/学校教育の階梯――身を立て名を上げ
3 子どもたちを生活へと導き入れる学びを
〈生きるすべ〉よりも〈生きるかたち〉を/学校の出番
4 遠近法のある暮らし
遠近法なき情報の空騒ぎ/遠近法世界に映る小宇宙/子ども学のまなざし
注
文献案内
おわりに――子ども学の可能性
ISBN:9784000228862
。出版社:岩波書店
。判型:4-6
。ページ数:224ページ
。定価:1800円(本体)
。発行年月日:2009年01月
。発売日:2009年01月20日
。国際分類コード【Thema(シーマ)】 1:JNA。