音はそれを聞く空間、すなわち、建築によって大きく左右される。これを考える学問は建築音響学と呼ばれる。建築音響学は聴きたい音をより良く聴かせるための室内音響工学と聞きたくない音をより小さくするための騒音制御工学で構成される。演奏や講演を聴いて心を揺さぶられる、もしくは、隣戸からの騒音に頭を悩ませる。このような経験は音の心理的解釈によるものであるが、一方で、その音は両耳の鼓膜で捉えた振動によるものであり、その振動を支配しているのは物理である。より良く聴かせるための音波がどうあるべきか、より小さく聞こえる音波がどのようなものであるかは心理的評価によって検討されるが、それを実現するための建築の作り方は物理に基づいて考えられるべきであろう。顔も知らない上階の住民が発する騒音は小さい音でも不快であるが、家族の発する音ではそうでもないかもしれない。これは心理的な解釈であるが、そもそも聞こえなければどちらも不快にはなりえない。物理的アプローチは後者を目指すものである。本書では建築と音に関する物理に関して、基礎から応用に至る事象を丁寧かつ精緻に解説する。音波の基礎としては、波動方程式、Fourier変換、波動性、評価指標などについて述べる。室内音響工学では、波動音響理論、幾何音響理論、統計音響理論に区分し、それぞれの仮定や特徴を述べる。騒音制御工学では、吸音と遮音に区分し、音響材料・構造とそれらの性能について述べる。また、これらを現実の環境、すなわち、複雑な場に適用した際の効果を予測するための数値解析技術についても紹介する。さらに、建築音響学の新たな展開を期待して、補遺として建築音響学に直接的に必要ではない発展的な事項についても触れる。これまでに刊行された建築音響学に関する書籍では、建築音響学を建築環境工学の1分野として取り扱っていることが多く、紙面の都合で数式の仮定や導出について詳述されていないことがほとんどである。一方で、建築音響設計の実用書や数値解析技術については専門の書籍がいくつか刊行されているが、こちらは内容が高度であるものが多く、学生や初学者にとっては難解であろう。本書では、これらの基礎と応用の狭間を埋めるべく、一貫した記述法を採用し、より理解が容易になるよう配慮している。建築音響学に関わる研究を行う大学学部生や大学院生、建築業界で音環境に関わる仕事をされる初学者の皆様に是非手に取っていただき、建築音響学に関わる数式の仮定や意味を理解していただきたい。また、数値解析技術に関してはサンプルプログラムを掲載しているので、自由に改変して利用いただき、今後の検討の道具として活用いただきたい。補遺については建築音響学に直接的な関わりのない、例えば、物理工学、機械工学、電気電子工学の研究者の方にも参考になれば幸いである。