災害が頻発する現代社会において、防災教育の重要性が指摘されて久しい。その要請に応えることは確かに急務である。しかし、すでに現場には混乱が生じている。声高に「生きる力」を叫ぶ教育現場では、ノウハウやハウツー、サバイバビリティを効率的に教え込もうとする筋肉質の防災、脅しの防災が散見される。その一方で、防災を楽しく口触り良く伝えようとするがあまり、生命の死を等閑視して、自然を畏怖する謙虚な姿勢さえも看過したソフトな防災、劣化版の防災も跋扈しているようにみえる。本書では、このような両極を斥け、弁証法的に解決策を探索していく。そこでは、「まなび合い」の構えを基軸に据えた、いのちをまなざす防災教育学の彫琢が試みられる。
第1章では、われわれ人類は、防災教育を、なぜ、なんのためになすべきなのか、倫理学の観点から問い直す。リスク社会における「コンティンジェンシー(偶有性)」のコンセプトを中核に置いた、真なる防災教育学のありかたを洞察している。
第2章から第4章までには、筆者が10年近くにわたって実施してきた、アクションリサーチの成果がふんだんに披露されている。特に小学校の教育現場に照準して、持続的にまなび合う関係性を構築していくにはどのような手法がありえるのかを論証している。ダイバーシティ&インクルージョンの動向や、コロナ禍のインパクトにも配視した最新の論考が盛り込まれている。
第5章、そして終章では、防災を人生の道行きのなかにセットすること、まなび合いの構えを人生の喜びに変える視座を確保することなどが提唱される。
本書がたどりついた「防災を生きる」という理念は、自己や他者の人生を重ね合わせながら、かけがえのないいのちを見つめ合うこと、いのちを感得し合うことの大切さを指し示している。それは、胸がつぶれるほどに苦しいときもあり、胸がふくらむほどにうれしいこともある。一筋縄ではいかないし、大人にも正解がわからないことだらけだ。しかし、その迷いのなかにこそ、人生の真実が秘められている。
頭の中に「知識(knowledge)」を詰め込もうとする防災教育は、多くの場合、いのちとのかかわりという古来の「知恵(wisdom)」を見失ってしまう。なぜならば、情報を媒介にしてコミュニケートするからである。防災や減災という営みと地続きに、復興という名の終わりの見えない長い歩みがあること。それはまた、来たるべき次なる災害に向けた、束の間の「災間」に過ぎないということ。そうした「時」を、いまもともに過ごしていることを、どれくらい深く味わうことができるのか、わたしたちは、通時的な感覚と共時的な感覚を併せて研ぎ澄ましていかなければなるまい。
本書は、そのような堅牢な思考を組み上げていくための礎石になろうとしている。次の千年紀を見据えた防災教育学の挑戦を、読者も目撃しておくとよいだろう。