プロローグ──『ジェンダー・トラブル』非公式ファンブック/第一章 ブレイブ・ニュートン! /The Misunderstanding/ニュートンとレズビアン・フェミニズム/「反戦運動とラディカル・フェミニズムの非嫡出子」/「ラベンダー色の脅威」とラディカレズビアンズ/「レズビアンは女を愛し、リスペクトするが、同性愛の女はただ女と寝るだけ」? /「平等主義的セックス」という圧力/マニッシュ・レズビアン/トップのフェム・ボトムのブッチ/ジェンダーの「不連続性」/第二章 ジェンダーに「本物」も「偽物」もない! /ドラァグのインパクト/『マザー・キャンプ』/ニュートンからバトラーへ/「パフォーマティヴ」と「エクスプレッシブ」/ジェンダー・パフォーマティヴィティ──「演技」を例に/自由にできるわけでも決定されているわけでもなく/「絶望の政治」に抗して/「彼女は働きすぎたので休養が必要です」/“She likes her boys to be girls”/バトラーからニュートンへ/第三章 “You make me feel like a natural woman”/「女のように/男のように感じる」? /バトラーからボーヴォワールへ/「女なるものは存在しない」/「人は女に生まれない、女になる」/比喩としてのジェンダー/「この子は女の子/男の子だ!」/政治的カテゴリーとしてのセックス/「しかし、もしアレサが私に向かって歌っているのだとしたら、どうだろう?」/「自然な女/男」のレシピ/第四章 「ジェンダーをなくすんじゃなくて増やそう」って話/「ジェンダーをなくす」? /「偏見がなくなる日」……? /性別の超越──再び、ウィティッグの「レズビアンは女ではない」/権力とその「向こう側」/「異性愛の全面否定」の帰結/ウィティッグの小説の「威力」/再び、ブッチとフェムを少々/ジェンダーはつねに再意味化に開かれている/ジェンダーを増やそう、ってゆうか/第五章 「私たち」って誰!? /その「私たち」に私は含まれてるの? /「女たち」の隘路/同時代のフェミニストたちとともに/クレンショーの「インターセクショナリティ」/フックスの『私は女じゃないの?』/コリンズとビルゲの『インターセクショナリティ』/「第三世界」からの問いかけ/スピヴァクの「サバルタンは語ることができるか?」/「私は女じゃないの?」から『それが私の名前なの?』へ/「私たち」の絶望と希望/第六章 「クィア理論って何?」/『ジェンダー・トラブル』はクィア理論の古典? /クィアって何? /エイズ危機とエイズ・アクティヴィズム/エイズ・アクティヴィズムからクィア・ポリティクスへ/「とりあえずの連帯」/パフォーマンスの政治/クィア理論って何? /批判的にクィアしよう/「対話」は難しい、それでも……/エピローグ──〈トラブル〉の共鳴/ねえ、気づいてたかな? /たくさんの「源」/『ジェンダー・トラブル』の「フェミニスト的記憶」/アカデミズムの外で/「可能性を開く」こと/「非現実化」に抗して/〈トラブル〉の共鳴/あとがき/参考文献