はじめに/ふたつの出会い──社会学と沖縄/大きな勘違い/普天間基地移設問題の研究へ/「よそ者」の限界/「命を守る会」へ/突然おとずれたチャンス/勘違い、再び/状況の大きな変化/本の出版/本書がめざしていること/第一章 辺野古の歴史/シュワブ以前の辺野古/米民政府からの要請/辺野古区の動き/要請の受け入れ/沖縄の人たちの反応/住民たちの声/土地賃貸契約の締結/村長の思い/辺野古区民の思い/建設工事がもたらした影響/駐留開始後の盛衰/第二章 辺野古のいま/辺野古社交街の現在/軍用地料の存在/米兵との交流/角力と米兵/米兵との交流が持つ意味/シュワブを組み込んだことが生み出す問題/第三章 普天間基地移設問題の経緯(1) 一九九五─二〇一〇/一九九六年四月──普天間基地移設問題の発端/一九九七年一月──「命を守る会」発足/一九九七年四月──「辺野古活性化促進協議会」発足/一九九七年一二月~一九九八年二月──名護市民投票と名護市長選挙/一九九九年一二月──岸本市長、条件つき受け入れ表明/二〇〇二年二月──名護市長選挙/二〇〇四年八月──沖縄国際大学ヘリ墜落事故/二〇〇四年九月──海上での阻止行動開始/二〇〇五年一〇月──沖合案からL字案へ/二〇〇六年四月──V字型案での合意/二〇〇七年五月──米軍再編推進特措法の成立/二〇〇九年八月──民主党政権の誕生と迷走の始まり/二〇一〇年一月──名護市長選挙/二〇一〇年五月──辺野古区行政委員会、「条件つき容認」決議/二〇一〇年一一月──沖縄県知事選挙/第四章 普天間基地移設問題の経緯(2) 二〇一一─二〇二一/二〇一一年六月──新生・命を守る会発足/二〇一一年一二月──環境影響評価書の提出/二〇一二年一二月~二〇一三年一月──第二次安倍政権の発足と建白書の提出/二〇一三年一二月──仲井眞知事による埋め立て承認/二〇一四年一月──名護市長選挙/二〇一四年七月──ゲート前抗議活動開始と一八項目の要請書/二〇一四年一一月──沖縄県知事選挙/二〇一五年~二〇一七年──埋め立て承認をめぐる攻防と工事の進展/二〇一五年~二〇一七年──辺野古に広がるあきらめ/二〇一八年二月──名護市長選挙/二〇一八年六月──辺野古の地位の相対的な低下/二〇一八年八月──埋め立て承認の撤回と翁長知事の死/二〇一八年九月──沖縄県知事選挙/二〇一八年一二月──土砂投入開始/二〇一九年二月──辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票/二〇一九年一二月──工期と費用の計画見直し/二〇二〇年九月~二〇二一年一二月──進む建設工事/第五章 二〇二二年名護市長選挙/一月一九日(水) くもり/一月二〇日(木) 雲が多めの晴れ/一月二一日(金) 晴れ/一月二二日(土) 曇りときどき小雨/一月二三日(日) 雨/一月二四日(月) 曇りときどき晴れ/おわりに/決定権なき決定者/決定権なき決定者としての名護市民/決定権なき決定者としての辺野古区民/決定者に祭り上げられるということ/責任を負うべき者/あとがき