『奥の細道』の再構築
著:井口 洋
内容紹介
本文批判を通して芭蕉『奥の細道』の再構築を試みる。
中尾松泉堂現蔵『おくの細道』は「書き癖から芭蕉の真蹟である」と本当にいえるのであろうか。まず「書き癖」とはあくまでも文字の外形、それはしかも「癖」である限り、容易に真似られるものである。また「夥しい推敲跡」を有すると中尾本は説明されるが、その「推敲」は他者の手になる「添削」を想定されていない。したがって、中尾本は「書き癖から芭蕉の真蹟であることが明らかにされた」などとは到底言えるものではない。
本書は、貼紙などによって添削される以前の中尾本の本文の全体を、『奥の細道』の新出の一異本として読解し、芭蕉の『奥の細道』の復元を企図するものである。
【平成八年十一月、はじめて世に紹介された、中尾松泉堂現蔵『おくの細道』は、貼紙などの添削が施された下から、従来まったく知られなかった本文が出現したところに、その画期的な意義があるであろう。わたくしはそう考えて、岩波書店から刊行された複製版(上野洋三・櫻井武次郎氏編『芭蕉自筆奥の細道』平成九年)の写真と、苦心解読された注とをたよりに、貼紙などによって添削される以前の本文の全體を、『奥の細道』の新出の一異本として読解することを試みた。すると、この異本の本文は、従来、主として、素龍清書本〔西村本〕『おくのほそ道』と曾良本〔天理本〕『おくのほそ道』とに依拠してなされてきた、この作品の本文の校訂に再考を促すもののように思われたので、その結果の一部を、ここに報告する。】
目次
序(森川昭)
凡例
行かふ年・心にかゝりて(1序章)付・「草の戸も」句について
月は在明にて・鳥啼魚の(2旅立)付・留別吟と曽良
ことし元禄二とせにや・たどり着にけり(3草加)
同行・又(4室の八島)付・「糸遊に」句について
気稟の清質(5仏五左衛門)
青葉若葉の・芭蕉の下葉・伝え侍る也(6日光)
野飼の馬・曽良(7那須)
自の家にも伴ひて・殊しきりに(8黒羽)付・「夏山に」句について
松杉くろく・よぢのぼれば(9雲岩寺)
館代より・柳かな(10殺生石・遊行柳)付・中尾本貼紙下について
三関の一・置れしとぞ(11白河の関)
常陸下野・三巻・閒に(12須賀川)付・「世の人の」句について
日は山の端に(13安積沼)
忍ぶのさと・さもあるべき事にや(14信夫の里)付・「早苗とる」句について
飯塚の里・茶を乞へば(15佐藤庄司の旧跡)
上よりもり・捨身無常の観念(16飯塚)
笠島は・みのわ笠島(17笠島)
としらる・と聞に(18武隈)
聊心ある者(19宮城野)
今も年々・壺の碑(20壺の碑)
を尋ぬ・ものから(21末の松山)
ことふりにたれど(23-1松島一)付・「ことふりにたれど」再説―田中善信氏に
落穂松笠など・口をとぢて(23-2 松島二)
見仏聖の寺(24瑞巌寺)
城春にして・降のこしてや(25平泉)
富るものなれども・長途のいたはり(27尾花沢)付・尾花沢四句について
最上川のらん・芦角一声・集めて早し(29最上川)
左吉・南谷・出羽(30-1出羽三山一)
木綿しめ・梅花・涼しさ(30-2出羽三山二)付・曽良「湯殿山」句について
風光・東北・莫作(32象潟)付・「象潟や」句について
雲に望・此間九日(33越後路)
ともにす・瓜茄子(36金沢)
此所太田の・給はらせたまふ(37多太神社)付・「むざんやな」句について
菊はたおらぬ(39山中)
千里に同じ・空近う(40全昌寺)
西行・扇引さく(41越前入り)
あとがき