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シネキャピタル

著:廣瀬 純

紙版

内容紹介

 
シネキャピタル――普通のイメージ=労働者たちの
不払い労働にもとづく、新手のカネ儲けの体制!

搾取されてるっていうのに、
ぼくや彼女ら「普通の鳥」は、働くことに
やりがいや喜びさえ感じている。

それどころか、
観客=投機家として無数の企業のために、
いっそうタダ働きをしてしまっている。

どんなやり方でシネキャピタルは、
この剰余価値生産に
ぼくたちを組み込んでいるの?

こんな暮らしから身を引き、
「労働からの解放」、
「解放された労働」を
獲得するなんてできるの?

* * *

ぼくたちはいつのまにか
「ヒッチコックの鳥」になっちまってる!
このインチキにこそ
映画の、ヤツらの、
取り分があるんだ。

 ┃ オビの推薦文
最先端の思想もイメージも
大胆に読みこめる廣瀬純は、
書き手としても稀有の才能に
恵まれている!!
―――― 蓮實重彦

 

目次

 
1  イメージたちはなぜ労働を拒否するのか。

  「動物を分類するのと同じような手つきで……」

  「万国の鳥たちよ、団結せよ。失うものは羽しかない!」

  「搾取されて喜んでいるこのオレは、いったい何なんだ!」

  「私は自分の行動を見ていた、それは不可避だった。」

  「カネ、カネ、カネ。いつも陽光に輝いている、富裕者の世界では。」

  映画は死なない、歴史は終焉しない。

  「カモメはカモメ、クジャクやハトにはなれない……」

  「すべては『お早よう』のように平凡なこと……」

2  マキノ雅弘から金融危機へ あるいは、****年*月に『運動イメージ』を読むということ

  一人二役のギャラは一人一役のそれと同額である。

  シネキャピタルは「めまい」においてその極限を見出す。

  映画はヒッチコックとともに「資本のコミュニズム」に達する。

  運動イメージの金融化は革命の「外的な必要条件」をなす。

  補遺――『時間イメージ』は言うまでもなく革命書である。

3  「あとがき」にかえて  映画と働かぬ権利(闇のなかの音楽)

  生きる権利のあるはずの生を生きること

  ARBEIT MACHT FREI または SLOW MOTION

  闇のなかの音楽、私たちの音楽

  まぶたなき瞳、あるいは LES YEUX VERTS

  シネキャピタル、「振り上げられた拳」の暴力

   * * *

解説 安井 豊 (映画批評家)
  敵はどこにいるのか?
  しゃべるように書くにはどうすればいいのか?
  労働者の音楽
  廣瀬純とは誰か?
  あるものはある
 

著者略歴

著:廣瀬 純
1971年生、龍谷大学経営学部教員、映画批評誌『VERTIGO』(Nouvelles Editions Lignes)編集委員。
著書として『美味しい料理の哲学』(2005年、河出書房新社)、『闘争の最小回路――南米の政治空間に学ぶ変革のレッスン』(2006年、人文書院)、『闘争のアサンブレア』(2009年、コレクティボ・シトゥアシオネスとの共著、月曜社)。訳書として、パオロ・ヴィルノ『マルチチュードの文法』(2004年、月曜社)、トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』(2007年、共訳、月曜社)、同『未来派左翼』(2008年、NHK出版)、フランコ・ベラルディ(ビフォ)『NO FUTURE ノー・フューチャー ―― イタリア・アウトノミア運動史』(2011年、洛北出版)、など。

ISBN:9784903127101
出版社:洛北出版
判型:4-6
ページ数:192ページ
定価:1800円(本体)
発行年月日:2009年04月
発売日:2009年04月10日
国際分類コード【Thema(シーマ)】 1:ATF