抵抗の場へ
あらゆる境界を越えるためにマサオ・ミヨシ自らを語る
著:マサオ・ミヨシ
著:吉本 光宏
内容紹介
最初の戦争体験、アメリカで英文学者になるまで、ベトナム反戦闘争、チョムスキーやサイードとの出会い、「知識人」との訣別、人文科学消滅後の学問、大学の役割……自らの軌跡をたどりながら、批評=抵抗の新たなスタイルを語る。
目次
┃ 目 次 ┃
◆ 第Ⅰ部 疑わしき起源 ----------
第1章◆ 戦争中の自殺と袋叩き
一枚の写真の記憶
最初のパーバーシティ
第2章◆ 戦争中に英語への関心を抱く
英語への関心
英文学という問題
第3章◆ アメリカの自由と反動との奇妙な闘い
アメリカに学び、日本に帰り、「戦争花嫁」としてアメリカに帰る
第4章◆ アメリカで英文学を教える初めての日本人としてバークレーに行く
アメリカで英文学教授となる
ある不安感と日本人であることの経験
第5章◆ バークレーでチョムスキーと出会う
変化が始まる――「私は正しいことをしているのか」
今度こそ戦争の真実を解明しなければならない、欺かれてはならない
◆ 第Ⅱ部 戦争と抵抗 ----------
第6章◆ 最初の戦争体験
嫌悪感に始まる
スタイルとしての抵抗
第7章◆ 戦後民主主義、新憲法、戦争責任問題
戦争経験を考える
何も信じられるものがなかった
天皇と憲法
第8章◆ 五〇年代そしてベトナム戦争と六〇年代
ほとんど理解されていない五〇年代という時代
ベトナム戦争反対運動
「この戦争は誤っている。だから我々は反対すべきだ」――バークレーでの抵抗運動
第9章◆ 戦争経験を意識し続ける
何が根本的に変わって、何が変わらなかったのか
ベトナムとイラクの違い
経済が問題の本質
戦争にはいったい誰が行くのか
第10章◆ ニヒリズムを超えて生き延びる
ニヒリズムとパーバースの違い
谷崎潤一郎のパーバースとオリエンタリズム
抵抗の場画像
◆ 第Ⅲ部 絶えざる移動と批判 ----------
第11章◆ 知識を考える者としての選択から文学を捨てる
国民国家の概念によって構築された文学は死んだ
歴史も文学と同様に構築されたものである
第12章◆ 沈黙する日本
再び日本と接する
批評は無視される
対話を維持できるか
『沈黙の共犯者』と三島由紀夫
第13章◆ どこから来たのではなく、どこに行くのか――サイードとの議論を通して
『我ら見しままに』の頃
サイードとの議論
普遍的知識人との訣別
第14章◆ 学問領域という秩序との闘い
大学との抗争
エスニック研究の問題
バークレーからサンディエゴへ――新たな領域を求めて
◆ 第Ⅳ部 抵抗の場へ、あらゆる境界を越えるために ----------
第15章◆ 地域研究という秩序の問題
『オフ・センター』と日本研究
専門化を避けるために移動する
学術的より政治的なプログラムとして会議を組織する
会議の意味は失われた
変化の予兆とは
抵抗の拠点としての大学/政治的抵抗としての学問
大学に希望はあるのか
第16章◆ イメージと記憶――他者との結びつきをいかに受け容れるか
映画と音楽と美術
様々な交流の日々
会議に代わる議論の場とは
建築と国家、企業
犠牲者について考える
◆ 第Ⅴ部 批判の自由 ----------
第17章◆ それでもなぜアメリカなのか
アメリカの自由の表裏
人は自分の人生を生きる
第18章◆ Japan is not interesting.「日本は面白くない。」
なぜ「日本は面白くない」か
議論をすることへの関心と責任
なぜ日本では批評が非難になるのか
第19章◆ 境界の秩序化に抵抗する
普遍主義と排他主義
なし崩しにされているのは何か
教育の本質――ケネス・バーグとの出会い
◆ 第Ⅵ部 新たなエコロジーに向かって ----------
第20章◆ 知の始まりとしての超学問領域
惑星主義と環境への配慮
実際に私たちには何ができて、どこに向かうのか
第21章◆ 新たな抵抗の手段としてエコロジーを考える
「環境」という概念の誤用の危険
環境と自然の差異
希望がないところから生まれる希望
不動産環境保全価値維持主義との訣別
第22章◆ 知識人ではなく単に人間として抵抗するために
「我々日本人」という国民国家を解体する
批評とは抵抗である――知識人という問題
新たな批評空間をめざして(あとがき) 吉本光宏
英文目次 / 索引
ISBN:9784903127057
。出版社:洛北出版
。判型:4-6
。ページ数:384ページ
。定価:2800円(本体)
。発行年月日:2007年03月
。発売日:2007年03月31日
。国際分類コード【Thema(シーマ)】 1:DNB。