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天空の限界集落

秩父浦山太田部大滝に生きる人びと

著:山口 美智子

紙版

内容紹介

失われゆく秩父 失われない秩父
山間のトンネルを抜けると、さらに高い山、山、山……ここは秩父の高所地帯(天空)。山の頂が塞ぐ狭い空の下に現れる3つの小さな限界集落――「浦山」「太田部」「大滝」。ダム建設と大合併で過疎に拍車をかけられながらも、そこで暮らす人びとは、厳しい自然の中で育まれた揺るぎない絆で扶(たす)け合い、豊かに生きる。
著者は秩父で生まれ育ち、三集落が最も賑わっていたころの様子も見てきた。そのため、活力を失ってゆく三集落に特段の想いを馳せながら、そこで生きてきた古くを知る24人の老男女に、5年をかけて話を聞き、その言葉を丹念に綴っていく。秩父に根を下ろした「聞き手」と「話し手」の深い関係性から、素朴でたおやかな言の葉が紡がれる。
一人の人間がその集落でどう生き抜いてきたか、どのような「金取り仕事」で生活を支えてきたのか、数日間にわたる「ご祝儀(婚礼儀式)」などの伝統文化や信仰、民話にまで話は広がる。
一読すれば、急変する時代や理不尽な社会状況に翻弄されながらも、それでも力強く生きる人びとの血肉の通った一言一句に、思わず目をひらかれる。そして、独自の人間文化を醸成してきた秩父から決して失われないもの、失ってはいけないものの貴重さにも気づかされる。この本で、天空の限界集落に住む人びとの生き様を目にすると、ほんとうの幸せな生とは何か、考えざるを得ないだろう。

目次

 はじめに
 埼玉県全図

●浦 山

  浦山地区全図/人口・戸数変動表 
  浦山について
 
こんな山ん中に住んでいても、いまは野菜が全然取れねんさあ。
だって獣がみんな食っちゃうんだから……/浅見ヨシエ    

俺は生まれも育ちも川俣で、生粋の浦山人ですよ。
親父は戦死して……まあ戦争なんかするもんじゃあねえんだよ。/中山登喜夫  

私はでしょう。父親は秩父の大野原で生まれ、母は群馬の人だったから……
だから姑は、生粋の「浦山人」で無い私を貰いたくなかったんさあ。/中山道子
 
浦山という所にはいろんな話がえら(たくさん)あったんですよ。
それは日本一の大泥棒に、日本一の詐欺師という話なんだけど……/高橋庄平

私は浦山の奥の「」という所で生まれたんだけど、
歴史が古く、我々の祖先は「平家の落人だった」という話が……/上林二三男

私は嫁に来て、まさか三十キロもある米運びをするとは夢にも思わなかったよ。
細い傾斜の山道を登ったり下りたり……家に辿り着く頃にはもうへとへと……/原島泰子

俺は四十二歳から五十歳頃まで、他所へ仕事に出た事もあったんですよ。
山関係の仕事で「秩父セメント」の下請け会社の不動産管理を任されたんです。/浅見博一

わたしの家は山ん中だから、道が狭く曲がりくねって片側は崖でけち(不便)な道だけど、
あんたはよく車で登って来たいねえ……/浅見 泉

●太田部

  太田部地区概念図/人口・戸数変動表
  太田部について

うちには山がえら(たくさん)あって林業で生計を立てていたんだいね。所帯を持ってからは
旦那の後をくっ付いて杉の苗木を植えたんだけど、下手くそで……/久保美富
                                   
うちが此処へ嫁に来た時、この家じゃあ「三角割り飯」を食っていたんさあ。
「三角割り飯」というのは、ボソボソして美味くねえんだよ。/新井みろく

昭和四十年代に「下久保ダム」が出来て十軒近く減り、
それが過疎に繋がる始まりだったんだよ。寂しいもんだいなあ……/新井辰信

これまで姑さまには散々弄られてきた様な気がしたったけど、いま考えてみりゃあ
有難かったんだよ。つましく生きるという事を教えてくれたんだから……/新井末子

人間世に生まれ出て苦労と闘いながら生涯過ごすんだから、
苦労をしに世の中へ出て来たようなもんだよ……/黒沢有恭

群馬から「太田部」へ嫁に来て、はあ(もう)五十年以上も経つんだけど、
秩父のことは殆ど知らねえねえ。太田部は秩父市なんだけど……/本田みち子

最近「太田部」じゃあ、道を歩いていたって誰にも会わねえし、
いま子供は一人も居ねえんだから、危機感はあらいねえ。/上井伸夫

人間の人生なんか「すごろく」じゃあねえけど、
何時どう転ぶか、最後まで分からねえんだいなあ。/新井 力

●大 滝

  大滝地区概念図/人口・戸数変動表
  大滝について

大滝が過疎化してきた一つは「滝沢ダム」。あれは駄目だったなあ。
それにもう一つは、大滝村が秩父市へ合併したという事ですよ。/千島 茂

「滝沢ダム」が出来て、やっぱり急速に過疎化が進み、
三十軒あったわしらの耕地も、十軒ごっそり無くなりましたからねえ。/木村一夫

中津川は本当に山奥だけど、鉱山が近くにあったお陰で、
「文明は奥から」という言葉のように、新しい文化がどんどん入ってきました。/山中寛二郎

わたしはこれまで「栃本」からほかの土地へ行って住みてえなんて考えるほど、
余裕はなかったいねえ。九十年生きてりゃあいろんなことがありましたよ。/沢登千代子

俺は「栃本」に生まれ住み、「何時が大変だったか」と聞かれれば、
以前も、今も、これからも、ここに住むこと自体が大変なことなんだよ。/山中宇一

わたしゃあ中津川の「中双里」で生まれ、縁あってこの「栃本」に嫁に来たんだが、
「他所へ出て暮らしてみてえ」なんて、一度も思ったこたあなかったよ。/山中禧子

いま考えてみると、おれは自分で好きな人と所帯を持ち好きな事が出来たんだから、
こんな山ん中で一生過ごしてきたけど、まあ、幸福な人生でしたよ。/原田秀雄

「川又」は大正時代になってから人が入り、新しく出来た人里だそうだから、
まだ百年ぐらいなもんで、明治頃までは原生林の麓だったそうですよ。/原田政雄

  おわりに
  主な参考文献

著者略歴

著:山口 美智子
1945年、埼玉県生まれ。東京アナウンス学院卒業。73年ごろから8ミリカメラでドキュメント作品を撮り始め、『秩父事件』などを制作。『撥の女』で第3回ひろしま国際アマチュア映画祭優秀賞受賞、『塚越の花まつり』で第7回日本映像フェスティバル8ミリの部優秀賞受賞。
著書に、『機と秩父――戦前・戦後/布文化に生きた53名の記録 機元から職人まで』(さきたま出版会)、『壊れかけた更年期――エイジングトンネル―10年の闇、そして光へ』(一葉社)、『村とダム――水没する秩父の暮らし』(すずさわ書店)がある。

ISBN:9784871960922
出版社:一葉社
判型:4-6
ページ数:372ページ
定価:3000円(本体)
発行年月日:2023年10月
発売日:2023年10月04日
国際分類コード【Thema(シーマ)】 1:JBCC
国際分類コード【Thema(シーマ)】 2:NH