唯識の心と禅
著:太田 久紀
紙版
内容紹介
《本書より》
仏教というのは細分化された学問ではありません。一人の人間が生きる。いかに生きるかということを問うのが仏教でありましょうし、また道を求める人もそうです。仏教に縁を求める人達も、学問がしたくてくるのではない。仏教から何かを与えられたいと思ってくるわけでして、そこにはここまでは仏教学、それは禅学、これは宗学、そんな枠があるわけがない。
目次
一、心の探究─心を以って心を学ぶ─
宗学・禅学・仏教学
─ひたすら仏道を参究する─
教学について
─言葉を通しての自己参究─
一乗と三乗
成唯識論の唯識
─人間の現実の直視─
唯識の三つの柱(心識論・三性論・修行論
─心の分析、現実の自己の分析─
心識論(心王・心所)
阿頼耶識
─人間の深み、人格が変わる、世界が変わる─
阿頼耶識の三つの構造
─自相・果相・因相、時間の流れ─
第六意識
─自己浄化のスタート地点─自己が変わっていく(転依=証り)─
無覆無記(阿頼耶識の人間観)
─現実の人間の根底は、善でも悪でもない。善にもなるし、悪にもなる─
末那識(有覆無記)
─有所得の心の根源、無所得の深さを感ずる─
転依(末那識の心所)
─無我なる自己の正体に目覚めていく─
修行論
─少しずつ少しずつ進んでいく─
悉有仏性と五姓各別
─仏性論の問題─
仏性と無漏の種子
─無性有情は、悪人ではない、空がわからないということ─
理仏性、行仏性(成唯識論の仏性論)
─仏性の中に抱かれながら漸に空を修行する─
結びとして
─自己とは何かという姿を客観化して示す─
二、道元禅師と唯識
三、宝巌興隆和尚をたずねて
四、管長さん、約束がちがいます
あとがき