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〈責任〉のゆくえ

システムに刑法は追いつくか

著:佐藤 直樹

紙版

内容紹介

人間を「近代的」な責任ある主体として前提する刑法は、「歴史的・伝統的」/「高度資本主義的」重層システムの社会のなかで大きく揺らいでいる。頻発する「わけのわからない」犯罪が示す基底を、フッサール現象学を援用して把捉する。

目次

はじまり

1 〈生活世界の刑法学〉の方法──世界とは自分のことなのだ
 (1)〈犯罪の現象学〉の方法──犯罪は「つくられる」ものだ
  1 犯罪現象の「素朴」な見かたとしての「犯罪論」
  2 刑法における〈主観/客観〉問題への白井駿の答案
 (2)フッサール現象学と〈犯罪の現象学〉──「まず世界が存在し、自分はその世界のどこかに配列されている」という世界像のエポケー
  1 方法的独我論と〈主観/客観〉問題
  2 「感じ」とは知覚直観/本質直観のことだ
 (3)〈生活世界の刑法学〉と主観と客観の「あいだ」──「一人称」の現象学
  1 従来の刑法学はカッコに入れられる
  2 「あいだ」は〈超越論的主観〉へと還元される

2 システムとはなにか──高度資本主義/伝統性という二重性の狭間で
 (1)高度資本主義=高度消費社会としてのシステム──解放性と抑圧性
  1 システムによる家族の商品化
  2 停滞の時代とシステムの抑圧性の顕在化
 (2)歴史的・伝統的なものとしてのシステム──「世間」とはなにか
  1 「権力」としての「世間」とは
  2 相互扶助共生感情と抑圧感
  3 いつの間にかという「気分」
 (3)システムと法現象──「隣人訴訟」をめぐって

3 法言語のなかの人間/システムのなかの人間──歴史的な視点から
 (1)中世における「システム」と人間──「責任ある主体」の不在
  1 呪術的世界の「犯罪」と「刑罰」
  2 生きつづける「世間」としての「システム」
 (2)近代における「責任ある主体」の誕生──法言語のなかの人間
 (3)現代における「責任ある主体」の退場──システムのなかの人間
  1 ある息子殺し事件判決の心情と論理
  2 システムのしわざとしての「福岡美容師バラバラ殺人事件」

4 ふたつの人間像の「ずれ」──“匿名”のためらい
 (1)“匿名である”ということ──「子どもの権利」をめぐって
  1 ゆらぐ匿名報道
  2 イギリスにおける「司法モデル」と「福祉モデル」の相剋
  3 「子どもの権利」とシステムのなかの人間
 (2)“匿名でない”ということ──「責任ある主体」の謎
  1 インフォームド・コンセントにあらわれた「責任ある主体」
  2 「服従=主体—化」とシステムヘの従属

5 システムの侵入と刑法の解体──近代刑法の矛盾と破綻とは
 (1)システムのなかの「意思」──刑法における人と人との「あいだ」
  1 近代的な「個人」の所有する「意思」
  2 伝統的システムの構成原理としての「あいだ」
  3 〈超越論的主観〉に「外部」は存在しない
 (2)科学的・合理的世界観と「動機」さがし──刑法における「因果関係」をめぐって
  1 「動機」は犯罪の「原因」になりうるか
  2 科学的・合理的世界観による「因果関係」の製造
  3 「魔がさした」という「動機」
 (3)犯罪という「事実」なんて存在しない──刑法における「真実」と「過去」
  1 裁判における「真実」の追求とは
  2 「事実」としての「過去」は存在しない
  3 「過去」とは言葉のことである

6 システムに刑法は追いつくか──社会の未来/刑法の未来
 (1)肥大化するシステムと「いじめ」──子どもたちの“諦め”
  1 少年非行をみる目の変化
  2 システムによる「いじめ」の市場化=商品化
  3 資本主義は「中世」になった
 (2)透明な停滞の時代の刑法──〈生活世界の刑法学〉にむけて
  1 近代合理主義としての刑法
  2 「ゆるし」と「あいだ」の再検討

おしまい

著者略歴

著:佐藤 直樹
1951年、仙台市生まれ。福岡県立大学教員。『大人の〈責任〉、子どもの〈責任〉』(青弓社)、『共同幻想としての刑法』『ぼくたちの犯罪論』(ともに白順社)、『刑法総論』(現代書館)ほか。

ISBN:9784787231000
出版社:青弓社
判型:4-6
ページ数:270ページ
定価:2400円(本体)
発行年月日:1995年