出版社を探す

研究叢書 464

〈他者〉としての古典

中世禅林詩学論攷

著:山藤 夏郎

紙版

内容紹介

「禅僧はなぜ詩を作ったのか」という問の解明を目指す。仏教の言語理論に基づき、中世の文藝理論及び古典論一般へ展開する。古典を学ぶ意義を再考する必要性を説き、文学、歴史、思想史等に問題提起した注目の大著。

目次

序文 石川 一
凡例

方法序説 禅僧はなぜ詩を作ったのか―問いを開くための「歴史」(学)的諸省察―
1 序
2 リテラシー選良(エリート)としての禅僧
 「漢字」という技術(テクノロジー)の身体への埋め込み(インストール)
 リテラシーの「中世」と「近代」
3 儒学と仏学の(再)雑婚(ハイブリツド)化
 儒者の禅林への流入
4 中華グローバリゼーションとローカリティの生成
 日本禅林の異郷的‐脱土着(トランスローカル)的風景
 グローバリゼーションとしての戦争
 〝日本の原郷としての禅〟という歴史的倒錯
 書籍及び出版技術の輸入と伝播
5 高等研究教育機関としての禅林
 組織及び人事制度
 僧階と職掌
 禅僧の初等教育カリキュラム(学習課程)
 「出世」への階梯
 禅林に産出されるテクストの諸形態
6 「五山文学」に対する知的関心の形成過程とその前提的偏見―戦後「国民文学論」による「階級」の克服という歴史的操作―
 排除/包摂される漢文
 民族と階級と文学
 文壇文学と大衆文学の乖離
 なぜ統合されねばならないのか―「アメリカ帝国主義」による「植民地化」という政治的文脈―
 言語の階級性と民族語
 知識人と民衆の乖離
 国民的歴史学運動
 啓蒙‐解放されるべきものとしての民衆
 「外」から「下」へ
 過去の讃美―発見された「民衆」―
 自己肯定の方法としての「民衆」の「文学」の肯定
 近代文学と古典文学の構造的分離
 「模倣」というヴィジョン
 「中国語」という不在(架空)の言語
7 なぜわれわれは禅僧の詩作行為を〝不自然〟だと感じるのか
 禅僧の詩作行為に対する従来的評価
 詩禅一味論
 和歌即陀羅尼論
 パフォーマンスとしての禅籍
 研究主体の意識下に潜在する宗教的信念
 言語の〈外部〉へ/から

Ⅰ 禅において言語とは何か―「詩禅一味」言説を可能にする地平―
1 緒言
 「詩禅一味」言説について考えるための予備的省察
2 言語×定式=苦しみ
 言語が現実を作り出す
 語/〈義〉
 苦悩はどこからやってくるのか
 言語の定式化→苦しみの定式化
 意味の交換/生産
3 二元論でもなく/あり、一元論でもなく/あり……
 此岸と〈彼岸〉の関係
 絶対矛盾構造の〈中間〉
4 禅における〈詩〉の生成原理
 〈禅〉とは何か
 安定化に対する抵抗

Ⅱ 中世禅林詩学における言語(の〈外部〉〔彼岸〕)への視座―言語と〈心〉の不均衡な呼応関係―
1 緒言
2 〈外部〉論の不可能性
3 〈語りえぬもの〉を語らないことは可能か
4 内部と〈外部〉の不均衡な呼応関係
5 秘匿的に遍在する〈心〉

Ⅲ 〈活句〉考―中世禅林詩学における方法論的公準の不/可能性―
1 発端
2 なぜ禅僧の言葉は奇抜なのか
 禅の言語観
 驚き
  奇
3 なぜ禅僧の言葉は難解なのか
 過剰な変化(奇抜化)に対する排除機制
 古典の賦活
4 変化の詩学
 〈意〉の外部性
 方法論の不断的変化
 句に幽在する〈活性〉

Ⅳ 詩を詠むのは誰か―中世禅林詩学における「脱創造」(décréation)という〈創造〉の機制―
1 序
2 我と〈渠〉の不均衡な呼応関係
3 「我」の完全なる無能性
4 「多聞」という生の相貌
5 〈他者〉の流出

Ⅴ 非‐人称(変身)の詩学(ⅰ)―詩論/歌論/能楽論の交叉する(非)場処―
1 序
2 詩人の仮面‐人格(ペルソナ)―「ナリカワル」詩人―
3 メタノエシス的原理としての〈心〉
  言語の/という仮面(ペルソナ)
    メタノエシス的原理
    能作の現前不可能性と時間論
    自律性と他律性
    心詞論の誤読蓋然性

Ⅵ 非‐人称(変身)の詩学(ⅱ)―〈我(わたし)〉が既に死んでいるということ―
1 序
2 「我」ならざる〈我〉
 古典という装置と公共的自己の制作
 聞くこと
3 死線の彼岸に詩(うた)う無響の声
 夢と夜と死と
 複式夢幻能という装置
 逆修と梓弓―亡名者の共同体―
 孤独な共生
4 妙という裂け目
5 歴史化された名
 〈作者〉と「作者」

Ⅶ 法の〈外〉へ/から―〈幼児性(インファンティア)〉(infanzia)への(或いは、としての)眼差し―
1 序
2 法執行=審判の恣意性―法の〈外〉とは―
3 〈幼児性〉と信じること
4 絶対的に〈正〉であること

Ⅷ 漂泊する規範―「五山文学の母体」を語りなおす―
1 序
2 「五山文学の母体」―古林清茂と金剛幢下―
3 正符号(+)としての「拙」
4 「宋末」という転回点
5 発見された先駆、ならびに「巧」の復権
6 無視‐隠蔽されたテクスト
7 「近代」の宗教言説の中で
 「玉村竹二」という言説の結節点を問う

〔補論〕南宋‐元における詩学をめぐる言説編制
1 序
2 宋代における詩学の変遷
3 南宋末期の文学現象
 古体派と近体派の二極分裂構造
 道学系儒者のリテラシー
 科挙と道学と詩学と
 詩学の専門化と商品化
 浙東地域における文学復興運動
 洛学起こりて文字壊(やぶ)る
 葉適とその門下におけるリテラシーへの眼差し
4 浙閩地域における「唐律」の復興について
 実態としての晩唐体の学習
 五言律詩への偏向
 模範としての賈島・姚合
 理想としての杜甫
 江湖詩壇に響く不協和音

Ⅸ 「漢字文化圏」の解体‐再構築―空間の(想像的)透明化によって消去されたもの―
1 前言
2 「文言」は「中国語」か
3 不均質な音声空間
 「中国語」の創設
4 雑音空間としての禅林
 不透明な文字
 出身地別のグループ編制
5 透明化された空間
6 小結

Ⅹ 文学現象における雅/俗という二分法の機制について―讃美と貶価の力学による空間編制―
1 前言
2 「俗」(ローカリティ)の生成と排除の規制
 政治学politicsとしての詩学
 「俗」の混淆―俗が俗であることはどのような視線の中で開かれるのか―
 グローバル・フォーマット=「文言」によるローカリティ=「俗」の生成
 排除による空間編制
 古典への讃美
3 「俗」への讃美、声への回帰
 文字/古典への批判、自然の生成
 「雅」へと吸収される「俗」
 「雅」性を横領する「俗」
4 小結

結びに代えて― 〈他者〉としての古典―
1 〈他者〉を「理解する」ことの不可能性、不可避性、そして原‐暴力性
 〈他者〉としての〈我〉
2 古典の拡張と消失
 大学の量的拡張=大衆化
 大きな物語の失墜
 大衆としての科学者
 古典とは何か
 専門の細分化
 近代化=合理化過程の内部に埋め込まれた文学研究
 カノンの解体
3 「日本古典文学研究」という装置に附帯する二つのコンプレックス
 文学研究における「鑑賞」の位置
 実証主義は実証的か?
 文学不在というコンプレックスを払拭するために
4 過去のテクストを読むという行為に附随するオリエンタリズム―〈他者〉の  「他者」化による自己の「理性的主体」化―
 分析主体‐理性的主体‐近代的主体の製造工場としての大学
 「近代人」という知の欺瞞
5 「近代」は到来したのか―理性/啓蒙から漏出する「ロマン的なるもの」―
 時間の距離化
 ロマン主義と受動性
 被植民者による日本古典文学への視線
 国文学ファシスト
 啓蒙主義とロマン主義の同居
6 戦前になぜ「古典」が求められたのか―欠如としての「日本的なるもの」―
 古典の永遠性‐不易性という言説の/による飛躍
 反西洋‐反近代としての「日本への回帰」
 知識人の西洋‐英語コンプレックス
 国文学者のルサンチマン
 自己を超越するものを求めて
 古典の最終原理としての「日本的なるもの」
7 〈古典‐死者の声〉をいかにして聞くか―逆座の技法―
 方法としての視座の反転―自らを他者化すること―
 学ぶものであるために
 〈過去=到来せぬもの〉の声をいかに聞き、〈未来=到来せぬもの〉への責任にいかに応えるか

あとがき

索引

著者略歴

著:山藤 夏郎
1974年、沖縄県生まれ。1997年、広島大学総合科学部総合科学科地域文化コース日本研究講座卒業、2004年、広島大学大学院社会科学研究科(現、総合科学研究科)国際社会論専攻(日本社会研究)修了、博士(学術)。同年より、(台湾)南臺科技大學應用日語系/應用日語研究所助理教授(現職)。日本古典文学(中世漢文学)専攻。

ISBN:9784757607620
出版社:和泉書院
判型:A5
ページ数:1136ページ
定価:18000円(本体)
発行年月日:2015年11月
発売日:2015年11月12日
国際分類コード【Thema(シーマ)】 1:DBS
国際分類コード【Thema(シーマ)】 2:1FPJ