トリオ
著:ウラジーミル・タラーソフ
訳:鈴木 正美
内容紹介
「GTChトリオ」として今日の新しいジャズを創り出した生ける伝説のドラマーの《自伝》。本書は71年のトリオ結成からソ連解体直前のトリオ解散までを辿る。「自由な」ジャズを切り口に、ジャズが切り開いてきた自由と独創のための不屈の闘争の姿が現れる。写真図版多数。ディスコグラフィー付き。本邦訳版は日本のジャズ評論家の副島輝人氏に捧げられている。佐藤允彦氏、梅津和時氏推薦!
目次
著者より日本語版への献辞
盗んだ大気 トマス・ヴェンツローヴァ
『太鼓手の運命』 アンドレイ・ビートフ
著者より
第1章 二人での演奏《OPUS A DUE》
トリオへの一歩、あるいは六〇年代半ばのアルハンゲリスク
ヴィリニュスの都、カフェ「ネリンガ」
1970年
二人での演奏
カウナス──これぞカウナス
私はいかに建築プランナーとして働いたか
ソ連のジャズ・フェスティヴァルでは何が起きていたのか?
スヴェルドロフスク将校会館ではチェカーシンの音楽でどのように踊ったのか そして彼はヴィリニュスへやってきた
第2章 企画《CONSILIUM》
1971年
トリオのはじまり、そしてソ連のジャズ・フェスティヴァルの周辺では何が起こっていたのか
友人たちについて
モスクワの70年代についてさらにいくつか
1972年
トリオの西側への初めての招待、そして、それがソ連でどのように行われたのか
1973年
フィルハーモニーへの就職の最初の試み
1974年
私たちの最初の出国の試み
私はいかにしてチェコスロヴァキアへ行けたか
公式的な活動のはじまり
1975年
私はいかにしてフランスへ勉強に行こうとしたか
最初の録音……
……そして、レコード
バルバンについて
第3章 徐々に《POCO A POCO》
1976年
ワルシャワ。トリオの最初の海外への出国。ウィリス・カノーヴァー
1977年
トリオの西側への初めての招待、そして、それがソ連でどのように行われたのか
ヴィリニュス・フィルハーモニーとノヴォシビルスクの学園都市における私たちの最初のコンサート
1978年
シベリアについてさらにいくつか
グルジア
キューバ。第11回若者と学生の全世界フェスティヴァル
1979年
ドイツ民主共和国。ハンガリー。「9つの部屋での室内楽」
1980年
ソ連対外友好・文化交流団体協議会およびノーボスチ通信社とはいかなるものか
「外套」
チェコスロヴァキアにて
「おや、何してたんだい?」
レオニード・フェイギン、アレクセイ・レオニードフと「レオ・レコード」について
労働組合──それらはどこもかしこも労働組合
第4章 さらに続く《POI SEGUE》
1981年
トリオ10周年
ルーマニアにて
コムソモールと共にドイツ連邦共和国へ
イタリアにて
1982年
「Non Troppo」
リトアニアのコムソモールと共にドイツ民主共和国へ
1983年
もう一度ルーマニアへの巡業
「壁紙」の報酬
ドイツではいかにfree jazzを演奏するか
どのようにして私たちはドルトムントで「外套」から逃げたか
楽器について
トリオにおける変化のはじまり。フィンランド
1984年
イギリス
ローマでの三つの出会い
第一の出会い──マリオ・スキアーノ
第二の出会い──マーク・ドレッサー
第三の出会い──アンタナス・ストゥクス
再び閉鎖
ユーゴスラヴィアにて
第5章 だんだんゆるやかに《RITARDANDO》
1985年
モスクワ。第12回若者と学生の全世界フェスティヴァル
オランダ
ポルトガル オーストリア
レニングラードの「秋のリズム」フェスティヴァル
1986年
インドにて
トリオ15周年
フランス
モスクワでのコンサート
ジョン・バラード、「スペース・エージェンシー」
「グッド・モーニング、アメリカ」
最後のコンサート
1987年
スラーヴァ・ガネーリンの旅立ち
トリオ後の一歩
あとがき
バルト三国について、およびトリオについてさらにいくつか
ガネーリン、タラーソフ、チェカーシン──夜の会話
パヴェウ・ブロドウスキの手紙
パウル・アケットの手紙
パウル・アケットと国立コンサート連盟との手紙のやりとり
ジョン・バラードの手紙
「トリオ」後のタラーソフ──訳者解説
訳者あとがき
ディスコグラフィー
ISBN:9784588410307
。出版社:法政大学出版局
。判型:4-6
。ページ数:334ページ
。価格:3600円(本体)
。発行年月日:2016年01月
。発売日:2016年01月15日
。国際分類コード【Thema(シーマ)】 1:AVL。