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流行に踊る日本の教育

編著:石井 英真

紙版

内容紹介

教育の「内」と「外」から、次々と押し寄せる「改革」という名の「流行」のうねり…
それらは、教師の背中を後押しし、子どもたちが成長できる学びを生み出せるのか?
「日本の教育が本当に大切にすべきことは何か」を再考する!


PISA型学力、キー・コンピテンシー、21世紀型スキルなど、変化の激しい社会では、「新しい能力」が必要だと言われ、新学習指導要領は、内容ベース(何を教えるか)から、資質・能力ベース(何ができるようになるか)への転換が図られました。

OECDも、Education 2030プロジェクトで、新しい能力のモデルを提示しようとしており、そこでは個人と集団のウェルビーイングを実現する活動主体に必要な能力として、新たな価値を創造する力、対立やジレンマを克服する力、責任ある行動をとる力といった、非認知的能力も含めた包括的な能力が強調されています。

そうやって、学校への社会の要求は、どんどんエスカレートしていくわけですが、それらを学校現場にもちこむことで、むしろ逆効果になることはないのでしょうか? そもそも、学校が「担うべきこと」「できること」は何なのでしょうか?

外来のものをありがたがり、流行に踊らされる状況を、これまでも日本の教育は繰り返してきました。その一方で、先人たちは、日本の文脈に合わせて固有の教育文化を形成し、蓄積してきました。ところが、近年の教育改革は、先人の蓄積に目を向けず、その結果、日本固有の教育文化が崩れてしまうのではないか…。

さらに、教育について必ずしも専門的知見をもたない人たちの教育論が、教育専門家の見解を経由せずに、それ以上の声の大きさをもって、教育政策や教育実践に影響を与えているという点も見逃せません。

確かに、教育業界以外の「民間」の発想や市民目線から、学校現場や教育界で常識とされている「当たり前」を見直してみることは重要でしょう。諸外国の日本と異なる文化や先進的な取組から学ぶことも重要でしょう。
しかし、近年の、教育畑に限らない「日本の教育」の改革者の語りは、日本の外部、教育的な発想の外部にユートピアを見いだし、他方で「日本の教育は崩壊している」という前提で出発しがちな点に危うさを感じます。
そして、こうしたきらびやかで先導的な改革者の語りに、自分たちの頭で考え、判断する余裕を与えられぬまま教育現場が翻弄され、それに飛びつけばとびつくほど、自前の言葉や文化や理論を失っていっているように思うのです。

そこで、本書は、資質・能力ベース、個別最適化、イエナプラン、学びのSTEAM化、EdTech、プロジェクト型学習、外国語教育、大学入試改革、エビデンスに基づく教育などを取り上げながら、行政、教育ジャーナリズム、カリスマ化した教育者などから発信される、改革を煽動する言葉やアイデアや手法に踊らされることなく、そうかといって懐古趣味に陥ることもなく、教育現場の「少しでもいい教育がしたい」という切なる思いに寄り添いながら、これからの日本に必要な「展望」を未来志向でつまびらかにします。

目次

序章 新しいものにとびつく前に、当たり前をやめる前に

第1章 資質・能力ベースのカリキュラム改革―学校ですべきこと、できることは何か?
 知識を教えるだけの教育は時代遅れ?
 新しい能力の教育へと改革すればするほど、それが育たなくなる逆説を超える
  1 「いまの日本には新しい能力の教育が必要」という語り自体を疑う
  2 学校は何のためにあるのか
  3 真に考える力を育てるには
 学校ですべきこと、できることの再確認

第2章 個別化・個性化された学び―「未来の学校」への道筋になりうるか
 個別化・個性化をめぐる動向―「一斉授業からの脱却」という神話
  1 「未来の学校」のキーワードとしての「個別最適化(アダプティブ・ラーニング)」
  2 イエナプラン・ブーム
 「個別化・個性化」という理想の“前提”“内実”“裏側”を問う
  1 「画一」「一方向」「一律」一斉授業という前提の妥当性
  2 個別化・個性化された学びの多様性と難しさ
  3 個別化・個性化への過剰期待に潜むリスク
 理想化を超えつつ、あらためて教育の原点として…

第3章 協同化された学び―多様な子どもたちからの文化の創造を目指して
 一方通行の授業? 対話も深さもない「期待通り」の話し合い?
 協同的で深い学びを求めて
  1 改革が必要と想定しているのは「どこのどんな」学びなのか?
  2 対話のある学び
  3 学習集団の指導技術―教師の指導性と子どもの自己活動と応答性
  4 共に学ぶからこそ生まれるもの
  5 「目立つ」子どもを含めた協同的な学び
 未来への見通し

第4章 「プロジェクト型学習」の再来―カリキュラムにおけるプロジェクトは「メソッド」なのか?
 「プロジェクト・メソッド」の再発見?
  1 アクティブ・ラーニングをめぐるネガティブな環境のなかで
  2 「プロジェクト型学習」の提唱
 専門家の見方・考え方
  1 プロジェクト概念の登場背景と留意点
  2 プロジェクトに「内容」を伴わせる模索
  3 日本での「プロジェクト」の受け止め
 未来への展望

第5章 インクルーシブ教育―「みんなちがって、みんないい」の陰で
 改革の表面的理解
  1 インクルーシブ教育が注目されるきっかけ
  2 インクルーシブ教育の受容
  3 両者の理念は似ているが対照的
 教育実践と教育学の遺産の確認と教育学をふまえた現状の吟味
  1 わからなくもない
  2 でも、十分ではない
 専門家の知見の現状への埋め戻しから見えてくること、いま本当に必要なこと、地に足のついたヴィジョンの提示

第6章 「仮説-検証」という呪縛―教師による「研究」を問い直す
 形骸化したまま繰り返される「仮説―検証」図式
 自然科学分野での研究と同一視できるのか
 どのようにして「仮説―検証」図式が一般化したのか
 新たな実践研究のあり方を求めて

第7章 外国語教育のスタンダード化
 なぜ、外国語教育の目標に「スタンダード」が求められるのか
  1 政策的背景
  2 英語教育史的背景
 コミュニケーションを問い直そう
  1 無批判に体験を並べたがる
  2 誰も「コミュニケーション」の中身や妥当性を問わない
  3 教科目的論の不在が表面的な技術主義を招く
 対話実践的外国語教育へ向けて

第8章 大学入試改革―それで高校教育は本当に変わるのか?
 大学入試改革は教育改革の「適切な処方箋」なのか?
 高校教育変革の手段としての大学入試改革
  1 大学入試を巡る語り①
  2 大学入試を巡る語り②
 「テストは万能である」という幻想からの脱却
 「影響力のない」大学入試制度設計とは何か?

第9章 エビデンスに基づく教育―黒船か、それとも救世主か
 現状に至る経緯
  1 「エビデンスに基づく教育」が推進されてきた政策的動向
  2 「エビデンスに基づく教育」の社会的背景
 「エビデンスに基づく」に踊らされないために
  1 数値信奉の罠
  2 なぜ、RCTは優れているのか
  3 RCTの限界を考える
  4 医学研究との比較から見えてくるRCTのむずかしさ
  5 RCTを学校教育に応用することに伴う困難
 今後の展望

第10章 カリキュラムマネジメントと開かれた学校のゆくえ―「地方創生」と学校・教師
 学校と社会の新たな関係
  1 社会に開かれた教育課程
  2 カリキュラム・マネジメント
  3 「開かれた学校」の新局面
 何が新しいか、何が課題か
  1 理想をめざす過程にこそ本質が浮かぶ
  2 「カリキュラム・マネジメント」をめぐって
  3 開かれた学校づくりをめぐって
 創造的な教育実践のために
  1 新たな「知の体系」を切り拓く
  2 大人こそが学ぶ

座談会 いま一度、立ち止まり、語り合っておきたいこと
 教育の世界で“明確な成功がある”という前提自体を疑う
 私たちはなぜ改革に踊らされるのか
 エビデンスが学校にもたらしたもの
 テクノロジーと教育の関係をどう考えるか
 教師は自分たちの実践を語る言葉を失っている
 教師としての自分の評価
 学校や教師を守ってきた保護膜の喪失
 いま一度、立ち止まって考えることの大切さについて考察する
 教育のもつ人間くささへの問い返し

著者略歴

編著:石井 英真
京都大学准教授:日米のカリキュラム研究、授業研究の蓄積に学びながら、学校で保障すべき学力の中身とその形成の方法論について理論的・実践的に研究している。特に、授業を硬直化させるのではなく、むしろ柔軟で創造的なものにするような、目標の明確化とそれに基づく評価のあり方について考えている。主な著書に『現代アメリカにおける学力形成論の展開』(単著・東信堂)、『〈新しい能力〉は教育を変えるか』(共著・ミネルヴァ書房)などがある。

ISBN:9784491041599
出版社:東洋館出版社
判型:4-6
ページ数:320ページ
定価:2000円(本体)
発行年月日:2021年01月
発売日:2021年01月09日
国際分類コード【Thema(シーマ)】 1:JNB