浅草公園 凌雲閣十二階
失われた〈高さ〉の歴史社会学
著:佐藤 健二
内容紹介
明治・大正時代の東京スカイツリーである浅草十二階と、盛り場に集う群衆。稀代の民間学者に導かれて、東京の歴史が幕を開ける。
稀代の郷土史家にして考証家、喜多川周之。遺された膨大な資料をもとに、関東大震災前の東京・盛り場=浅草にたつ凌雲閣十二階とそこに集う有名無名の群衆を描く。
パノラマ的視界を現出させた、当時のめざましい高層建築、日本初のエレベーター、初めての美人コンテスト、そして関東大震災による倒壊。話題に事欠かない凌雲閣十二階の消長が、日本近代の諸相、人々の好奇心のありようを鮮やかに照らし出す。
本書は喜多川周之という人物とその業績をていねいに辿りながら、脱皮を繰り返すように成長していく東京、そして日本近代の様相、人々の欲望をみごとに捉えた歴史社会学の成果。図版多数、読物としても面白い内容。「記録と記憶」と題された当時の貴重な資料は必見。
目次
第一章 塔の視覚と想像力――浅草公園・十二階凌雲閣
一 思い出となればなつかし──凌雲閣を見上げつつ
二 「エレベートル」を以て縦覧人を昇降し──高みからの見物
上野の内国勧業博覧会
福原庄七とウィリアム・バルトン
凌雲閣に登る人びと
高塔のたそがれ
三 昔見し凌雲閣の百美人──写真による比較と選別
美人写真を見つめる
エレベーターの操業停止
日本最初の美人コンテスト
投票というイベント
集計公表をめぐる争い
『百花美人鏡』
四 垂直に立ち上がった煉瓦街──勧工場という商品空間
凌雲閣の内部空間
五 十二階は始末におえなくて──高塔の黄昏
凌雲閣を倒す
飛び降りた自殺者たち
六 どこの魔法使いが建てましたものか──俯瞰と仰望と望遠鏡
高いは十二階
図に題す
望遠鏡という覗き眼鏡
「覗きからくり」と「遠めがね(双眼鏡)」
七 空間の想像/都市の表象──虚焦点としての十二階
十二階の「高さ」
パノラマの奥行き
十二階凌雲閣を追い続けたひと
第二章 民間学者としての喜多川周之
一 ある郷土史家の死
二 十二階崩壊以前──大震災までの少年の日に
人生の時間軸にそって
子どもの遊びと観察力
ベーゴマとメンコの加工
買ったものと作ったもの
十二階の記憶
毒キノコもキノコである
非嫡出子としての十二階
震災に逃げまどう
意味の立体性
三 十二階崩壊以後──石版画工としての修業から
(一)蒐集趣味の形成と徒弟修業
川村画版所の徒弟として
浅草の休日と絵はがき蒐集者の誕生
絵はがきと古書の収集
十二階の記録をあつめる
画工としての興味
(二)職人としての目と腕の熟練
職人気質と本当の職人性
ニセモノをつくる腕と技がわかる目
(三)文学運動への参加と出版
童謡と詩の文学運動
製本屋のおやじ
(四)研究・蒐集仲間たちとのネットワーク
考現学のフィールドワーク
大東京風俗資料研究会
風俗談話会の開催
民間学者の重なりあうネットワーク
四 方法としての地図──資料の空間の見取り図
「地図」という空間図示のメディア
地図への関心と東京の大都市性
地図と聞き書き
命名者の神話
紙くずの重要性
二代目新門辰五郎夫人の苦労
五 民間学の視点から
民間学者としての喜多川周之
十二階の夢
第三章 「十二階凌雲閣」問わず語り
都市の古老
仲見世の絵本売りと買鼠券
職人の知・民間の知
遺贈した資料との出あい
未完成の十二階論
著作目録とヒアリング資料
語られたことと書かれたこと
◆喜多川周之「十二階凌雲閣」問わず語り◆
一 浅草寺奥山における「公園」の誕生
公園の設置と営繕会議所の運営案
江戸時代の奥山
奥山に於て興行仕り御好評を賜りたる
公園出稼仮条例と夜間の営業
「公園の人じゃない」
氏子守札が示唆するもの
二 浅草公園の「新開地」六区の開発
ひょうたん池の造成
浅草公園第六区の形成
六区の形成と浅草公園の完成
三 凌雲閣が建てられる──登高遊覧施設の系譜
海女のハダカ人形と佐竹っ原の大仏
富士山縦覧場
電気による明かりの開化
大阪における登高観覧施設
花やしきの奥山閣
四 凌雲閣の建設──基礎をつくり煉瓦を積み上げる
凌雲閣十二階の経営者たち
衛生技師ウィリアム・K・バルトン
五 エレベーターと美人写真投票と自殺者
洗い髪おつま
明治二七年の大地震と凌雲閣の修理
六 関東大震災と十二階凌雲閣
第四章 十二階凌雲閣の記憶と記録
喜多川周之 著作および活動の目録
あとがき
索引