讃岐典侍日記全注釈
著:岩佐 美代子
内容紹介
天皇のセックスと愛、闘病と死。残された者の悲しみと再生。
『讃岐典侍日記』は、それらを率直に描いた、日本でたった一つの文学作品である。
『更級日記』の40年後、『たまきはる』の100年前に成立。
院政期最初期の宮廷を描いた、「天皇と相愛関係の典侍」という特殊な立場にあった女性の日記。
従来の説と、かなりことなる見解を示した、渾身の全注釈。
初めて明らかになった、この作品の面白さ、すばらしさ。
【讃岐典侍日記は美しい作品です。愛する人の死と、残された者の生、そして心ならず現世を生き続ける中で、死を胸中に抱きしめながら再生していく過程を、こんなにも巧まず率直に語った作品を、私は他に知りません。】……はじめにより
目次
はじめに
凡例
●上巻
一 序、 五月雨の空に寄せて
二 嘉承二年六月二十日、 堀河帝の病状進行
三 七月六日、 重態
四 看護の日々
五 胸にゆるぐ神璽の筥
六 暫時の退下、 休息に病帝への思い新た
七 再度の近侍、 忠実参上
八 十一日、 忠実参上、 「御膝のかげ」・中宮書信
九 中宮入御
一〇 十五日、 氷の賞翫、 再度の病悩
一一 十七日、 浮腫出現
一二 十八日、 行尊加持
一三 求めにより中宮御方に参上
一四 御受戒準備・中宮再度入御
一五 御受戒・帝法華経読誦
一六 藤三位、 作者の局に参入・定海読経
一七 十九日、 早朝崩御
一八 人々の対応、 悲嘆
一九 乳母らと作者、 それぞれの哀慟
二〇 崩後の処置
二一 乳母ら退出、 作者御遺骸に近侍
二二 局に退下、 剣璽渡御をよそ事に聞く
●下巻
二三 十月、 鳥羽帝出仕の内命
二四 帳下命、 除服
二五 十一月十九日、 大雪をしのぎ御月忌参会
二六 十二月朔日、 即位式、 帳
二七 嘉承三(天仁元)年正月元日、 鳥羽帝出仕・二日、 「ふれこゆき」
二八 陪膳始め
二九 三日、 忠実参上、 「御膝のかげ」の思い出を語る
三〇 十九日、 御月忌参会
三一 二月、 私の忌日にての追懐
三二 三月十九日、 御月忌・法華三十講参会
三三 四月朔日、 衣更・八日、 潅仏会
三四 五月四日、 菖蒲葺き・最勝講の思い出
三五 六月、 堀河の泉遊覧と扇引きの思い出
三六 七月十九日、 御一周忌
三七 二十五日、 諒闇明け
三八 八月二十一日、 本内裏移御に参向
三九 内裏侍寝の追懐・「御膝のかげ」
四〇 二十二日、 萩の戸の贈答
四一 九月十余日、 壁の譜のあと
四二 十月、 大嘗会御禊
四三 十一月、 五節・雪の思い出
四四 出し衣の思い出
四五 「急ぎてまかでんと思ひし夜」 の思い出
四六 二十日、 大和殿との贈答・二十一日、 大嘗会
四七 二十三日、 清暑堂の御神楽、 鳥羽帝への賀詞
四八 二十四日、 周防内侍との贈答
四九 十二月晦日、 日記擱筆直前の思い
五〇 天仁二年十月、 香隆寺参詣
五一 跋、 本記を中に常陸殿との交歓
●解題
一 底本と校訂方針
二 典侍―役割と社会秩序
三 宮廷生活常識―読解上の留意点
四 堀河天皇
五 中宮篤子内親王
六 鳥羽天皇
七 顕綱とその子女
八 作者と作品
●系図
皇室
摂家・村上源氏
道綱流藤原顕綱家
●付図
左京略図
堀川院復元図
●年譜
●参考文献
●人名索引
あとがき